近江の城

地 区 名 湖北 湖東 東近江 湖南 甲賀 大津 湖西
  
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No 城郭名 所在地 概       歴 遺存度
2550401 応昌寺城 西浅井町塩津中 詳細不明。
02 塩津城山城 西浅井町塩津・祝山 関東・武蔵の熊谷から地頭として補任してきた熊谷氏の居所であったと考えられている。
03 集福寺城 西浅井町集福寺 関東・武蔵の熊谷から地頭として補任してきた熊谷氏に関わる城跡と考えられている。
04 西岡城 西浅井町横波 関東・武蔵の熊谷から地頭として補任してきた熊谷氏の一族が拠った城跡との伝承がある。 未訪
05 沓掛西砦 西浅井町沓掛 秀吉軍の明石与四郎則実が改修し布陣した。
06 沓掛南砦 西浅井町沓掛 街道の往来を監視した櫓台跡と考えられる。
07 塩津浜城 西浅井町塩津浜 地頭熊谷氏が関わった城の一つと考えられている。港の警備、出入りを高所より監視する城跡である。
08 岩熊城 西浅井町岩熊他 塩津の領主でもあった熊谷氏の城跡と考えられている。 未訪
09 沓掛北砦 西浅井町沓掛 街道の往来を監視した砦跡と考えられる。

2550301

玄蕃尾城

余呉町柳ケ瀬・敦賀市刀根

柴田勝家(越前・北ノ庄城主)が秀吉(播磨・姫路城主)との決戦に備え天正10年に築城した。賤ヶ岳合戦で勝家の本陣が置かれた。

02

行市山砦

余呉町池原

天正11年の賤ヶ岳合戦で柴田勝家軍の佐久間玄蕃盛政(加賀・尾山城主)が布陣した。

03

別所山砦

余呉町池原

柴田勝家軍の前田利家(能登・七尾城主)・利長(越前・府中城主)父子が布陣した。佐久間盛政の大岩山攻撃を助けるため茂山に移動するも、盛政の撤退に際し援護することなく越前に帰城してしまった。

04

中谷山砦

余呉町池原・小谷

柴田勝家軍の原彦次郎(大野城に同居)が布陣した。

05

橡谷山砦

余呉町池原・小谷

柴田勝家軍の金森長近(越前・大野城主)が布陣した。

06

柏谷山砦

余呉町小谷

柴田勝家軍が徳山五兵衛秀現(加賀・松任城主)が布陣した。

07

大谷山砦

余呉町小谷

柴田勝家軍の不破彦三勝光(府中城に同居)が布陣した。

08

林谷山砦

余呉町小谷・新堂

柴田勝家軍の毛受勝助・家照兄弟等が布陣した。柴田軍の敗色濃厚となって、毛受兄弟が勝家から馬印を受け取り指立て奮戦するが討死した。その間に勝家は越前・北ノ庄に撤退していった。

09

天神山砦

余呉町国安・天神前

賤ヶ岳合戦で秀吉軍の山路将監正国、木下半右衛門利久、大金籐八郎が布陣したが、敵陣に近く堂木山まで後退させた。

10

茶臼山砦

余呉町新堂

天神山砦と同様後退。

11

東野山砦

余呉町東野他

秀吉軍の堀久太郎秀政(近江・佐和山城主)が布陣した。近年、林道で遺跡の一部が破壊された。

12

菖蒲谷砦

余呉町東野

東野山砦の南下方に位置し、秀吉軍が北国街道封鎖のため築いた防塁の一翼を担っていた。

13

堂木山砦

余呉町中之郷・東野

天神・茶臼山の砦に代えて山路将監正国、木下半右衛門利久、大金籐八郎が布陣した。後に山路正国は、柴田軍に走った。

14

神明山砦

余呉町文室・八戸

敵陣に近すぎた天神・茶臼山の砦に代えて木村隼人正(重茲)、木下昌利、堀尾義晴が布陣した。

15

茂山砦

余呉町八戸

賤ヶ岳合戦で大岩山攻撃を助けるため前田利家をここに移動させたが、利家は戦わずして越前に帰城してしまった。

16

岩崎山砦

余呉町下余呉

秀吉方の高山重友(右近)(摂津・高槻城主)が守備したが、柴田軍の佐久間盛政の攻撃を受け、砦を放棄して田上山砦に退いた。

17

大岩山砦

余呉町下余呉

秀吉軍の中川清兵衛尉清秀(摂津・茨木城主)が守備したが、柴田軍の佐久間盛政の攻撃を受けて陥落、討死した。

18 今市上砦 余呉町今市 柴田勝家軍が布陣か。 未訪
19 坂口砦 余呉町坂口 詳細不詳。

2550201

田上山城

木之本町木之本

元亀4年浅井氏を来援した朝倉義景が本陣を置いた。賤ヶ岳合戦では、天正11年に秀吉軍の羽柴秀長(但馬・出石城主)が守備した。秀吉軍の実質的な本陣であった。

02

賤ヶ岳砦

木之本町大音

秀吉軍の桑山修理重晴(但馬・竹田城主)、羽田長門守正親、浅野弥兵衛が守備した。

03

田部山砦

木之本町木之本

浅井氏を来援した越前朝倉氏が北近江に砦したうちの一つと考えられる。

04

黒田城

木之本町黒田

黒田氏の発祥の地である。黒田官兵衛孝高の生誕地を西脇市の黒田城と二分する。

05

小山館

木之本町小山

在地領主の小山(伊吹)氏の館跡で、館を中心に村落(城下町の原形)が形成されている。

06

法華寺跡

木之本町古橋

石垣、石塁、土塁、外構え等で防備され城塞化した寺院跡である。

07

赤尾氏館

木之本町赤尾

浅井三将(雨森清貞、海北綱親、赤尾清綱)に数えられた赤尾氏の館跡である。

2550101

井口城

高月町井口

湖北四家(磯野、赤尾、雨森、井口)と呼ばれた井口氏の館跡で、浅井久政の正室阿古(長政の母)の生家である。

02

雨森城

高月町雨森

湖北四家(磯野、赤尾、雨森、井口)と呼ばれた雨森氏の館跡である。雨森清貞は浅井三将(雨森清貞、海北綱親、赤尾清綱)に数えられた。

03

唐川城

高月町唐川

磯野右衛門太夫が永正15年に磯野村より移り住んだ館跡である。

04

西物部城

高月町西物部

館跡であるが謂は不明。

05

磯野館

高月町磯野

京極氏から浅井氏に仕え、重臣として活躍した磯野氏の館跡である。

06

磯野山城

高月町磯野・松尾

京極氏から浅井氏に仕え、重臣として活躍した磯野氏の詰城である。

2548401 安養寺館 びわ町安養寺 浅井氏家臣の安養寺氏の館跡である。
02 益田城 びわ町益田 長浜城主羽柴秀吉に仕えた増田長盛(近江・水口岡山城主)の出生地との伝承がある。
03 八木浜館 びわ町八木浜 土豪の中村氏の屋敷地である。織豊期から近世初期に付近を統轄する代官であった。

2548301

焼尾砦

湖北町上山田

大嶽城の北を守る砦跡である。元亀4年織田信長の小谷城攻めに際して、守将の浅見対馬守が信長に内応し、その手引きにより大嶽城は落城した。

02

大嶽城

湖北町伊部

築城は永正13年と云われ浅井亮政時代の主郭で、城域が南に派生する支尾根上へ拡張され城の中心が移ったため、大嶽城は支城となった。元亀3年織田信長の小谷城攻めに際し、朝倉氏の援軍が改修・布陣した。

03

福寿丸

湖北町伊部

大嶽城から西に派生する支尾根上にあり、元亀3年織田信長の小谷城攻めに際し、大嶽城と山崎丸と月所丸と共に朝倉氏によって改修された。

04

山崎丸

湖北町伊部

大嶽城から西に派生する尾根上にあり、元亀3年織田信長の小谷城攻めに際し、大嶽城と福寿丸と月所丸と共に朝倉氏によって改修された。

05

月所丸

湖北町伊部

大嶽城から東に派生する尾根上にあり、元亀3年織田信長の小谷城攻めに際し、大嶽城と福寿丸と山崎丸共に朝倉氏によって築かれた。

06

小谷城

湖北町伊部

浅井氏の居城で大永年間に浅井亮政が築いた。清水谷を囲む尾根上に連郭式に郭を配置した山城で、規模は壮大で日本五大山城(春日山城、七尾城、観音寺城、月山富田城)の一つに数えられる。天正元年織田信長に攻められ落城、浅井長政は鐘ケ丸の東下方の赤尾屋敷で自刃した。

07

山本山城

湖北町山本

浅井長政の時には、阿閉氏が配され、領国防備のための重要な支城とされた。

08

丁野山城

湖北町丁野

元亀3年織田信長の小谷城攻めに際し、朝倉氏が改築。朝倉氏家臣の堀甚助、久保田勘十郎、平泉寺宗徒玉泉坊が布陣した。虎御前山の北に位置する。

09

中島城

湖北町丁野

元亀争乱時に浅井氏家臣の中島宗左衛門が守備した。丁野山城の東支尾根に位置する。

10

脇坂屋敷

湖北町丁野

浅井氏家臣の脇坂氏の館跡である。伊予大洲5万3千石の脇坂甚内安治の出生地である。

11

南速水城

湖北町南速水

伯母屋敷に当たる地は、石田三成の伯母の屋敷跡との伝承がある。

2548201

虎御前山砦

虎姫町中野

元亀3年織田信長が小谷城攻め最前線の向城として築いた。小谷城とは指呼の間にある。

02

三川城

虎姫町三川

宮部継潤の家臣田中政吉(筑後・柳川藩主)の砦があったとの伝承がある。

03

宮部城

虎姫町宮部

秀吉の家臣宮部継潤(因幡・鳥取城主)を輩出した宮部氏の城館跡である。小谷城攻めに際し信長により改修された。

2548101

須賀谷館

浅井町須賀谷

この地に小谷城の家士屋敷が設けられた。浅井氏家臣の片桐家が居住し、片桐克元が生まれた。

02

瓜生砦

浅井町瓜生

集落の西の尾根上に古墳を利用した砦があり、海北氏の山城で小谷城の支城でもあったか。

03

瓜生館

浅井町瓜生

浅井三将(雨森清貞、海北綱親、赤尾清綱)に数えられた海北氏一族が居住した。現況は集落である。

04

北野スミ櫓砦

浅井町北野

大嶽から東に伸びた支尾根南端の頂上部に築かれた小谷城の支城か。スミヤグラは周見櫓か。

05

北野砦

浅井町北野

集落の西の尾根上に小規模で稚拙な砦跡がある。

06

北野館

浅井町北野

菅原道真とゆかりのある来生寺辺りか。

07

竜安寺城

浅井町竜安寺

姓名不明の土豪が居住。浅井方の関谷八郎左衛門が姉川合戦後逃れ谷と称し住んだとの伝承がある。集落の南東の尾根上および麓の神社に小規模で稚拙な砦跡がある。

08

黒部館

浅井町黒部

西を山、南を切岸と水路、東を水路で守られている。現況は集落である。

09 黒部砦 浅井町黒部 集落の西の尾根上に古墳を利用した小規模で稚拙な砦跡がある。

10

小室陣屋

浅井町小室

小堀政一(遠州)の遺領を継いだ政之によって慶安元年に築かれた小室藩の居館(陣屋)である。

11

高山舘

浅井町高山

大字高山は高山右近(摂津・高槻城主)を輩出した字との伝承がある。現況は集落である。

12

草野城

浅井町鍛冶屋

詳細不詳

13

大吉寺

浅井町野瀬

貞観7年の草創とされ、平治の乱の後に源頼朝が大吉寺に匿われたと伝わる。室町期には、幕府の祈躊寺として保護を受けていましたが、大永5年に六角定頼による兵火や元亀3年には織田信長の焼討ち破却を受けた。

未訪

14

尊勝寺城

浅井町尊勝寺

集落の西の平野神社、称名寺の周囲を中心に土塁などの遺構が残る。

15

内保城

浅井町内保

城郭化した寺院で、戦国期の湖北の一向宗の中心寺院の一つである。

16

平塚館

浅井町平塚

浅井長政の姉の昌安見久尼が実才庵を中興した。寺院の周囲には土塁が残る。北隣が庄屋平塚家の屋敷跡である。

17

大依山城

浅井町大依

姉川の合戦に向かう浅井・朝倉軍が布陣した際の陣跡である。

18

三田村城

浅井町三田

京極氏から浅井氏に仕えた三田村氏の居城である。姉川合戦では、朝倉景健が本陣を置いた。

19

野村城・多賀舘

浅井町野村

佐々木氏の分流と言われる野村氏一族が居住した館跡である。六角氏・京極氏の盛勢に押され隋属し、当地の野村氏は多賀左近又は京極氏被官の多賀氏に仕えたとの伝承がある。

20

東野館

浅井町東野

京極氏に属した東野村の領主東野氏の館跡である。

21 七廻り峠南砦 浅井町鍛冶屋 詳細不明
22 尊野城 浅井町尊野 土豪の伊藤氏の館跡である。
23 西村館 浅井町西村 中世の館跡も詳細不明である。
24 太田城  浅井町太田 中世の館跡であるが、城主名等は不明である。
25 田根城 浅井町高畑 佐々木南北諸士帳に高畑の人物として「高畠、高畠図書」の名が記されている。
26 当目館 浅井町当目 村山氏や草野氏が居住したと伝承される。

2520301

新庄寺城

長浜市新庄寺町

神照寺陣所と言われ、観応2年に足利義直を打つべく義詮が布陣した。天文7年には京極高慶が浅井亮政・京極高延らとの戦いのために布陣した。城塞化した寺院である。

02

上坂城

長浜市西上坂町

戦国時代に家信・信光が出て京極氏執権として実権を握った上坂氏一族の館跡である。

03

大野木土佐守屋敷城

長浜市東上坂町

山東町(現米原市)大野木の出で浅井氏の時代に移り住んだ大野木土佐守の館跡である。

04

勝山

長浜市東上坂町

姉川合戦の時に徳川家康が陣を置いた。

05

龍ケ鼻砦

長浜市垣篭町

織田信長が姉川合戦に勝つまでの間、陣を置いた。また、横山城攻めの付城である。

06

横山城

長浜市堀部町他

京極氏の支城から浅井氏の南進基地、姉川合戦後は木下秀吉が守将となり、織田信長の前線基地となった。

07

石田館

長浜市石田町

土豪石田氏の館跡である。豊臣政権の五奉行の石田三成(近江・佐和山城主)が生まれた。

08

七条城

長浜市七条町

村の用水管理者を担った土豪七条氏一族の館跡である。

09

垣見氏館

長浜市宮司町

浅井氏の忠実な家臣であった土豪垣見氏の館跡である。

10

宮川陣屋

長浜市宮司町

室町期の宮川氏の館があったところに、元禄11年堀田正休が宮川藩の陣屋を築いた。

11

小堀氏館

長浜市小堀町

長浜城主の羽柴秀吉に仕えた小堀新助政次の屋敷跡である。小堀遠州(政一)が生まれた。

12

大東館

長浜市大東町

宮川の垣見氏の分流である大東の垣見氏の館跡である。

13

室町城居立城

長浜市室町

仏厳寺付近が城跡である。

14

長浜城

長浜市公園町

京極道誉が室町初めに出城を築き、家臣の今浜氏、上坂氏が守将として在城した。天正元年に浅井氏を滅ぼした織田信長より遺領を与えられた羽柴秀吉が築城し、今浜を長浜と改めた。

15

下坂氏館

長浜市下坂中町

南北朝期に足利氏方として働き、その後京極氏、浅井氏に属した下坂氏の館跡である。

16

下坂寺田館

長浜市寺田町

寺田一族の屋敷跡である。寺田前衛門は本能寺の変で戦死したと伝えられる。

17

鳥羽上城

長浜市鳥羽上町

京極高延の家臣の荒尾三郎左衛門尉が六角氏の侵攻に備えて陣をはったとされる。

18 福勝寺城 長浜市大戌亥町 湖北十ヶ寺の一寺で、戦国大名の浅井氏の残党と連携し、北近江に侵攻した織田信長に抵抗した。

2546201

太平寺城

伊吹町太平寺

佐々木氏12代目の佐々木信綱より愛知川以北六郡を与えられた四男京極氏信の居城である。

未訪

02

弥高寺跡

伊吹町弥高

伊吹山四ケ寺の弥高寺跡に明応年間に京極政経や高清が布陣。この頃から出城の役割があった。

03

上平寺城

伊吹町上平寺

京極高清が山麓に館を構えたとき詰城として整備され、大永3年の浅見氏らの国人一揆で落城した。その後、浅井長政が街道監視の城として改修した。

04

上平寺館

伊吹町上平寺

永正2年に京極政経・材宗との抗争に終止符を打った高清によって居館と家臣屋敷や城下町が整備された。大永3年に浅見氏らの国人一揆によって焼かれた。

2546101

大原氏館

山東町本市場

佐々木氏四派に分流した時、長男・重綱が大原庄を与えられ大原氏を名乗った。その館跡である。

02

須川城

山東町須川

姉川合戦で浅井軍に属し織田信長を討つべく単身信長陣中に潜入した遠藤喜右衛門直経の館跡である。

03

須川山城

山東町須川

浅井氏家臣遠藤氏の領地であり同氏の築城か。元亀頃は浅井の江濃防衛ラインに組み込まれたか。

04 須川山砦 山東町須川 長比城の北の尾根に所在し、浅井氏の江濃防衛ラインの一つか。
05

長比城

山東町長久寺他

元亀元年織田信長に反旗を翻した浅井長政が信長の侵攻に備えて江濃国境を固めるため築いた。

06

柏原城

山東町清滝 

鎌倉初期、地頭の柏原弥三郎の居館であったが、弥三郎の悪行に対する追討の功として京極氏に柏原城が与えられたという。京極氏信が柏原城を居城とし、清滝寺徳源院を建立した。

07

柏原御殿

山東町柏原

江戸時代初期、京に上る将軍徳川家が使用した御茶屋御殿(宿泊・休憩所)である。

08

大野木氏舘

山東町大野木

浅井氏の重臣の大野木氏の館跡である。小谷城の清水谷にも土佐屋敷と呼ばれる屋敷が残る。

09

八講師城

山東町梓河内

多賀豊後守高忠の拠った所とも、佐々木管領の頃に澤田民部大輔がこの所に居城したとも云われる。

10

河内城

山東町梓河内

京極氏の祖である氏信が築城したとされる太平寺城が建武3年に焼失した後、正平8年頃に柏原城を居城していた京極道誉が河内城を京極氏の詰城として用意した可能性が高いとされる。

11

西山城

山東町西山

背後の山を源氏山と呼ぶが、源氏は佐々木源氏に通じるのか。大原庄の最南端に位置する。

12 箕浦氏館 山東町柏原 近江町箕浦発祥の京極氏家臣である箕浦氏が、京極道誉の命でこの地に移り住した居館跡である。
13 本郷城 山東町本郷 木之本町黒田発祥の黒田氏がこの地にも居したとされ、黒田氏が離れた後も一族の荒尾氏が住したようである。
14 高屋城 山東町梓河内 高屋氏が城主とされるが、詳細は不明である。
15 山室砦 山東町山室 名越館にあった京極氏家臣の小足備前守によって築かれた「詰城」の可能性が高いとされる。
16 小田城 山東町小田 佐々木大原氏の初代・重綱の庶流である竹腰氏の居館と考えられている。
17 市場城 山東町市場 詳細不明
18 年吉城 山東町北方 佐々木南北諸士帳に「年吉住、佐々木浅井隨士、箕浦籐四郎」の名が見える。

2546401

能登瀬城

近江町能登瀬

京極氏家臣の堀氏の館跡である。

02

多和田城

近江町多和田

環状列石群があり、神籠石、朝鮮式山城、高地性集落遺跡、石造の山城跡の説があり結論は出ていない。

03 多和田哨砦 近江町多和田 詳細不明
04

顔戸山城

近江町顔戸

狼煙台的役割のものか。

05

日光寺砦

近江町日光寺

南・西への眺望が利く山裾斜面に築かれている。

未訪
06

長沢城

近江町長沢

長沢義盛が保元・平治の乱の功によりこの地を賜り城を築き17代後の文明11年落城したと伝わる。大永5年、天文7年に浅井氏攻めの六角氏の本陣が置かれた。

07

若宮氏館

近江町飯

京極氏六人衆の一人で後に浅井氏に従った若宮氏の館跡である。

08 嶋氏館 近江町飯 京極氏の根本被官今井氏の家老であった嶋氏の舘跡である。
09

西円寺砦

近江町西円寺

京極氏、浅井氏に従った箕浦城を本拠とする今井氏の砦か。

10

西円寺館

近江町西円寺

京極氏、浅井氏に従った箕浦城を本拠とする今井氏の館か。菩提寺が建つ。

11

箕浦城

近江町箕浦

京極氏、浅井氏に従った今井氏の館跡である。

12

塚の越し古墳砦

近江町新庄

6世紀の初頭に築造された前方後円墳で、今は墳丘部の覆土や石室の石材の大半が運び去られているが、湖北における横穴式石室導入期の古墳として注目されている。

13 宇賀野館 近江町宇賀野 宇賀野氏の居館跡である。

2546301

枝折城

米原町枝折

小字造座の一小山にあり、土肥六郎左衛門実勝の居城である。源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末裔で、足利尊氏の時代に近江、美濃の野武士を平定して功があったとされる土井氏の詰城である。

02

門根城

米原町三吉

坂田郡の国人土豪の堀氏と重臣である樋口氏の城館跡である。樋口氏は浅井の先鋒で西美濃に進出した。

03

太尾山城

米原町米原

地元の土豪米原氏が築いたとされ、京極道誉の時代にはその支城であった。その後、六角と京極・浅井氏が争奪を繰り広げる境目の城となった。  
04

地頭山

米原町番場

天文22年京極高廣の南下に対し、六角義賢が地頭山城を攻め落城させている。

05

鎌刃城

坂田郡米原町番場

鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった土肥氏によって築かれたとされる。その後、堀氏が入り浅井氏の勢力下に置かれたが、元亀元年同族の樋口氏とともに織田信長に降った。

06

番場城・殿屋敷

米原町番場

鎌刃城が鎌倉時代に土肥氏によって築かれたと伝わるが、同城は山奥で在地の城とは考えられず、当城こそが地頭として下向した土肥氏の城か。

07

朝妻城

米原町朝妻

天文年間には新庄蔵人が居城した。太尾山城、磯山城、佐和山城等と共に浅井氏の支城として機能した。

08

磯山城

米原町磯

松原弥惣右衛門の城で永正年間に京極氏の手によって落城したとされる。

09

菖蒲嶽砦

米原町梅ヶ原

当城は、天文年間後半京極氏家臣今井定清の支城であったが、六角方に内応し六角方の吉田安芸守が入城したとある。

             
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No

城 郭 名

所 在 地

概         要

遺存度

2520201

物生山城

彦根市宮田町

元亀元年佐和山城攻めの付城の「北の山」で市橋九郎右衛門を置かれた城跡か。

02

佐和山城

彦根市佐和山町他

建久年間、近江守護職佐々木定綱の六男佐保六郎時綱によって築かれたのが始まり。戦国時代は境目の城として争奪戦が繰り返された。本能寺の変後、秀吉が腹心の石田三成等に守備させた。

03

丸山城

彦根市小野町

元亀元年佐和山城攻めの付城で:丹羽長秀が置かれた。

04

ヤナガ谷砦

彦根市中山町

地元の口伝で草山内膳が城主と伝える。

05

キドラ谷砦

彦根市中山町

地元の口伝で戦国時代に兵糧攻めに合い城主はじめ討死にしたと伝える。

06

高取山城

彦根市男鬼町

男鬼畑から比婆神社へ通じる年貢道という山道があり、この道を押さえる城か。城の規模が大規模であり山道を押さえる城とは思えない遺構である。

07

彦根城

彦根市金亀町

関ヶ原の合戦後、豊臣氏への押さえに三成の遺領に井伊直政が配された。嫡子直継は居城として彦根山に慶長8年築城を開始し、元和8年までの22年間を費やし完成させたのがこの城である。

08

日夏城

彦根市日夏町

荒神山城の支城と考えられている。

09

荒神山城

彦根市清崎町

築城年代は定かでないが、六角氏の身内で重臣でもある日夏安芸守によって築かれた。

10

山脇古城山城

彦根市石寺町

顕如法主の檄を受け蜂起した中郡(蒲生、神崎、愛知、犬上)の一向一揆が築いた城跡か。

11

山崎山城

彦根市稲里町・賀田山町・清崎町

永禄11年から始まった織田信長の近江侵攻に従った在地領主の山崎氏が、信長の命により築いたと考えられる。西半分は、水道タンクの設置により破壊されている。

12

肥田城

彦根市肥田町

文亀3年六角氏の命で高野瀬隆重が築城した。永禄2年秀隆が浅井氏に通じたため、六角義賢により水攻めにされた。浅井長政は、これを救援し野良田表の合戦で勝利した。

13

高宮城

彦根市高宮町

六角氏の五代氏頼の三男信高が高宮・東沼波・大堀・竹鼻を領して高宮氏を名乗り、ここに城を築いた。

14

岡部(葛籠)城

彦根市葛籠町

築城年代は定かでないが岡部氏によって築かれた。興福寺領の荘官から出た土豪。

15 佛生寺城 彦根市仏生寺町 「近江国小間攫」は、畑 城左エ門を佛生寺城主 としている。

2544301

小林遺跡

多賀町木曽

城主は小林宗家か。

未訪
02

曽我城

多賀町木曽

承久の乱の功により曽我祐盛に犬上郡久徳郷曽我の地頭職が与えられ、文明17、8年頃に曽我兵庫允師助が久徳郷の背後の山裾に築いたとされる。その後、赤田氏、多賀氏(久徳氏)と領主が代わる。

03

久徳城

多賀町久徳

久徳定高は多賀氏の一族で京極氏に仕え、長享元年の戦功で久徳の地を賜り久徳城を築いた。

04

下水谷丸山城

多賀町水谷

桃原城の見張台的な機能を担った出城か。

05

桃原城

多賀町桃原

明応4年に京極政高が根拠地を置き、多賀新左衛門経忠も入城して兵糧・軍資の調達を行ったとある。

06

敏満寺城

多賀町敏満寺

天台宗寺院で六角氏・京極氏と対立し寺院は城塞化した。永禄5年に浅井長政に攻められ坊舎の大半が焼失、元亀2年織田信長の命に応じず残りの坊舎も焼かれ寺は消滅した。

07

竜円山城

多賀町敏満寺

今井・島家中が敏満寺に没落した時代の東方を守備する砦か。

08

倉谷・籠城山城

多賀町敏満寺

竜円山城と籠城山城の中間に位置する砦跡である。

09

籠城山城

多賀町敏満寺

真宗の布教施設「道場」の転訛した可能性あり。本願寺に呼応した勢力の築城と推定する人も。

10

腰越の城

多賀町佐目

佐目に明智十左衛門が居住するとの文献や地元に十兵衛屋敷と伝える所があり、その背後の山城跡である。

11

一ノ瀬城

多賀町一ノ瀬

城主に一ノ瀬氏があったと伝わる。

12

八尾山城

多賀町藤瀬

京極政経が退き八尾城に在り、また、多賀豊後守の城であったとの記録が残る。

  13

楢崎城

多賀町楢崎

楢崎氏の館跡と伝わる。

2544201

勝楽寺城

甲良町正楽寺

筑豊後守が京極道誉の所領を守るため応安元年に築いたとされる。その後、多賀氏の居城となっていたようだが、戦国期織田信長に攻められ落城した。

02

下之郷城

甲良町下之郷

「大洞弁天当国古城主名札」に、下之郷村城主多賀豊後守、二階堂出羽入道、多賀修理とある。

03

在士館

甲良町在士

六角氏の五代氏頼の三男信高が高宮・東沼波・大堀・竹鼻を領し、高宮氏を名乗り城を築いた。

04

尼子館

甲良町尼子

京極氏五代の室町幕府重臣で婆娑羅大名として知られた京極道誉の嫡孫備前守高久が甲良荘尼子村を領有し尼子氏と称し、勝楽寺城の前衛城として築いた。出雲尼子氏の出自として知られる。

2544101

高野瀬城

豊郷町高野瀬

六角氏家臣の愛智氏が分家した一族で、城を築いたのは高野瀬家広と伝わる。

02

那須城

豊郷町石畑

屋島の合戦で「弓矢の名手」として名を馳せた那須与一宗高の次男砂田民部大輔宗伝が、佐々木氏の旗頭として、那須城(城跡)を築きこの地を治めた。

03

八町城

豊郷町八町

赤田氏の本拠地久徳郷で多賀氏の勢力が拡大したため、永正年間頃に河瀬庄八丁村に移り、八丁城(八町城)を居城とした。

04 吉田城 豊郷町吉田 佐々木源氏の一流で佐々木秀義の六男・巖秀を祖とする吉田氏の居館である。

2542401

市村城

愛知川町市

市村氏は豊後守を宗家とし、四郎兵衛、八郎右衛門、右衛門の四家があったという。

02

愛知川館

愛知川町愛知川

愛知氏の居館と伝えられる。愛知氏は、佐々木経方の曾孫家行にはじまるとされる。

03

東円堂城

愛知川町東円堂

詳細不明

04

平居城

愛知川町平居

愛知井の管理に関与した平井氏の居城と伝えられる。平成21、2年頃に土塁が消失した。

05

畑田城

愛知川町畑田

鎌倉時代から戦国時代まで六角氏の家臣が居城し、観音寺城を守る前衛城として機能か。

06 長野城 愛知川町長野中村 中村氏の居館である。

2542301

目加田城

秦荘町目加田

天正4年織田信長が安土城を築くにあたたり、目賀田山(現在の安土山)が選ばれ、第42代当主目加田摂津之守貞政は所領地である光明寺野(今の目加田)に城を築いた。織田信長に従い2万石を領した。

02

矢守城

秦荘町矢守

天文20年文書には、杉立高政、高秀の連名がある。永禄3年の野良田表の合戦に勝利した浅井長政は平井定武の平居城を攻めた。その手始めとして矢守城を攻め、杉立父子は平居城に奔った。

03

狩野城

秦荘町蚊野

室町中期に狩野氏が築いた。

04

剛輪寺城

秦荘町松尾寺

天平13年行基によって建立された天台寺院である。元亀4年織田信長の焼討にあったが、現存の本堂、三重塔は寺僧の尽力で焼失をまぬがれた。周囲の尾根には、削平地等が存在し、城塞化の跡が伺える。

05 島川 秦荘町島川 明応5年(1496)征濃の軍士を招集するため、伊庭城主・伊庭出羽守貞隆が在城した。
06 栗田 秦荘町栗田 平居城主・平居氏の分家として、平井実次の嫡男・実清が創設した栗田氏の居館である。
07 安孫子城 秦荘町安孫子 安孫子氏が在館した所とある。

2542201

北菩提寺城

湖東町北菩提寺

六角氏に仕えた加藤六郎左衛門尉貞轉、同民部亟が在城したとする。

2542101

百済寺城

愛東町山上・百済寺本町・百済寺

朝鮮からの渡来系氏族である秦氏によって建立された寺院で、文亀3年六角氏内紛の第一次伊庭の乱で全焼し、この復興と共に城塞化が始まった。元亀4年織田信長の焼討あい全焼した。

02

北坂城

愛東町北坂

小規模ではあるが湖東平野を一望でき、遠見の城として百済寺防衛を担ったか。

03

上岸本城

愛東町上岸本

小倉氏の支族岸本氏の城か。天正元年織田信長が六角承禎・義粥父子が立て籠もる鯰江城を攻めるため、この上岸本城を“付城”としたともいわれる。

04

鯰江城

愛東町鯰江

在地土豪の森氏が築いた居館と伝えられが、その後土豪鯰江氏の居城となる。六角氏が織田信長の近江侵攻に対抗し城は改修され、永禄11年六角承禎・義粥父子が入城するが、天正元年9月落城した。

05

井元城

愛東町妹

観音寺城を逐われた六角氏は鯰江城にて蜂起し、織田信長は四方に付城を構築して攻撃した。井元城はこの付城の一つである可能性が高いと云われる。

06

青山城

愛東町青山

青山氏によって築かれた。青山氏は、小倉氏の一族で京極氏の衰退で青山実貞・青山勝重・青山信兼らが六角氏に仕え、その後織田信長に属した。

07

小倉城

愛東町小倉

承暦年代に清和源氏後裔の小倉景実が愛知郡小椋庄に築いたのが始まりと伝えられ、以来、小倉氏はこの城を拠点として、愛知・神崎・蒲生三郡の東部に勢力を築いた。室町中期に三・四家に分裂し、当地は小倉東家が支配した。

08

山口城

愛東町外

詳細不明

                  
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No 城 郭 名 所 在 地 概         要 遺存度

2540301

川南城

能登川町川南

「大洞弁天当国古城主名札」に川南村城主として高橋対馬の名がみえる。

02

新村城

能登川町新宮東

一向一揆は金ヶ森城を中心に志村城や小川城に楯籠もって信長に対抗するが、元亀2年に落城した。

03

小川城

能登川町小川

小川氏の居城で、元亀争乱において顕如法主の檄に応じ蜂起した一向一揆が立籠もり、元亀2年織田信長勢の攻撃を受け、小川城主小川土佐守祐忠は7人の人質を出し降参し、信長の一武将となった。

04

伊庭城

能登川町伊庭

建久年間、佐々木行実の四男高実が、伊庭の地を領し居館を築いた。室町期前半には幕府と結びつき強大な力を持ち、六角氏を脅かす存在となり、応仁の乱後、二度にわたる戦いを経て追放された。

05

伊庭御殿

能登川町伊庭

江戸時代初期、京の上る将軍徳川家が使用した御茶屋御殿(宿泊・休憩所)で、小堀遠州が作事を行った。

06

佐生城

能登川町佐野

北方への防御拠点で城主は六角氏家臣の後藤氏と伝えられる。後藤氏は六角氏の重臣であったが、永禄6年に当主父子が六角義弼により謀殺された。

07 種村城 能登川町種 佐々木政頼の三男を種村伊豆守高成と云い、種村を領して種村氏を称した。
08 山路城 能登川町山路 山路氏の居城で、「堀」と呼ばれる小路や「堀前橋」の名が残っている。
09 垣見城 能登川町垣見 殿屋敷、姫屋敷とされる伝承地が残っている。

2540201

和田山城

五個荘町和田

六角政頼の子和田高成が築城したとも、六角義弼が築城したとも伝えられる。永禄11年に観音寺城が織田信長に攻められた際、六角氏は箕作城と和田山城に将兵をおいて攻撃にそなえた。

02

簗瀬城

五個荘町簗瀬

築城年代は定かでないが簗瀬氏によって築かれた。戦国時代には簗瀬美作守が居城したと云わる。

03

箕作館

五個荘町清水鼻

佐々木定頼を祖とする箕作家系以外の舘跡か。

04

箕作城

五個荘町山本

観音寺城の支城で,六角定頼が天文19年に築城したが、永禄11年に織田信長の侵攻で落城した。

05

金堂城

五個荘町金堂

詳細不明

06 河曲城 五個荘町河曲 近江三能筆の一人である河曲壱岐守の居城と伝わる。
07 小幡城 五個荘町小幡 詳細不明

2538101

常楽寺城

安土町常楽寺

沙沙貴神社の神官であった木村氏が城主であったとされる。

02

安土城

安土町下豊浦

丹羽長秀を総普請奉行に任じ、天正4年から築城を開始、約3年の年月をかけて一応の完成をみた。天正10年の本能寺の変の後に落城した。

03

観音寺城

安土町石寺

戦国大名六角氏の本城として、また中世では希有な総石垣造りの巨大な山城として著名である。永禄11年織田信長の上洛阻止に諸城に籠もって戦うが、支えきれず甲賀に遁走し落城した。

2520501

小脇舘

八日市市小脇町

鎌倉時代初期の近江源氏佐々木氏の本拠の館で、延徳3年には金剛寺城に移転された。

02

小脇山城

八日市市小脇町

佐々木氏家臣の三井氏の居城とされ、三井氏は佐々木氏の流れを汲むといわれているが、詳細は不明である。

03

後藤氏館

八日市市中羽田町

後藤氏の居館跡である。六角氏の重臣で永正13年の伊庭貞隆の乱では六角氏の家宰として活躍し、老臣として権勢が高くなるが、永禄6年六角義弼に賢豊父子が暗殺された。

04

布施山城

八日市市布施町

六角氏の家臣の布施氏の居城である。観音寺城の淡路丸は布施淡路守の屋敷跡である。布施三河守は、永禄11年織田信長の近江侵攻の際、この城に立籠もり戦ったが敗れ廃城となった。

05

大森城

八日市市大森町

布施淡路守の子の布施藤九郎公保の居城と伝えられる。

06

徳昌寺遺跡

八日市市上羽田町

詳細不明

未訪
07 大森陣屋 八日市市大森町 出羽の太守最上氏の所領没収後の大森藩立藩に伴う陣屋跡である。

2520401

沖島頭山城

近江八幡市沖島町

詳細不明 未訪
02

沖島尾山城

近江八幡市沖島町 詳細不明 未訪
03

沖島坊谷城

近江八幡市沖島町 詳細不明 未訪
04

水茎岡山城

近江八幡市牧町

南北朝時代に六角氏の湖上警備の城として築かれ、戦国時代城主は被官九里氏であった。永正5年11代将軍足利義澄が京を追われ伊庭・九里氏を頼り、この城に入ったころ本格的に改修が行われた。
05

北津田城

近江八幡市北津田

城中と城後と呼ばれる小高い丘が城跡か。城中は宅地化され消失。

06

円山城

近江八幡市円山町

六角泰綱の三男長綱の子・西条氏綱が築いたとする。4代後の壱岐守の時、織田信長により六角氏が滅ぼされ、この城も廃城となったと推定される。

07

北ノ庄城

近江八幡市北ノ庄町

六角定頼の出城との記録があるが、城主や築城に関する記録・伝承が少なく詳細は不明。

08

八幡山城

近江八幡市舟木町他

天正13年に羽柴秀次が近江半国に当たる43万石を拝領し築城した。文禄2年に秀吉に実子・秀頼が誕生し、秀吉との関係が不和となり、文禄4年に秀次は切腹させられた。

09

秀次舘

近江八幡市宮内町

山城(詰城)と居館群が分離する構造で、八幡山城の南山麓に居館群があり谷地形の中央部分、標高約130メートルの地点から下方に雛段上に築かれている。秀次館跡は、雛段上の最上部に位置する。

10

長光寺城

近江八幡市長光寺町

応仁の乱の際、佐々木政堯が居城し宗家に対抗した。永禄11年織田信長の上洛戦では六角氏方が籠城、元亀元年柴田勝家を守将とし、旧領回復を狙う六角義賢・義治父子への押さえとした。

11

田中江城

近江八幡市十林寺、田中江町

十林寺集落の薬師堂付近が城跡。田中江港付近に出城があり、税を徴収したと云う。出城の西南隣の称念寺は、佐々木盛綱(西念坊)を匿った伝承を持ち城館跡と考えられている。

12

小田城

近江八幡市小田町

高畠氏の居城。戦国頃は高畠源兵衛が居城し、娘鍋が織田信長の妾となったことで知られる。

13

小森城

近江八幡市中小森町

熊沢藩山が母方の実家であるこの地に逗留したことで知られる。姻戚の小森氏、伊庭氏の存在からそれらの中世以来の城館跡と考えられている。

14

久郷屋敷

近江八幡市上田町

伊庭氏の被官久郷氏の居館が存在したと云われる。北側に湧水地が残る。

15

西宿城

近江八幡市西宿町

湧水地を押さえる在地領主の居館跡と推測される。

16

長田城

近江八幡市長田町

長田氏の居城と云われる。「堀殿」と呼ばれる水路で三方を囲まれる。

17 金剛寺城 近江八幡市金剛寺町 近江守護佐々木氏第四代の頼綱が鎌倉末期に金田(金剛寺町付近)に隠居所を築き、金田殿と呼ばれた。居館に隣接して氏綱が金剛寺を創建したことから金剛寺城と呼ばれるようになった。
2540101

山上城

永源寺町山上

小倉城を本拠とした小倉氏一族の城で、室町中期に分裂し山上城を居城とする小倉氏を西家と呼ぶ。

02

和南城

永源寺町和南

和南城は、和南氏も居城で、創建年代は南北朝時代とされる。永禄元年に織田信長を小倉右京亮実治が八風越の道案内をしたため、六角承禎は小倉氏を攻撃した。これが和南の合戦と呼ばれている。

03

相谷万灯山城

永源寺町相谷

小倉西家の小倉右近太夫、山田城主・小倉三河守良秀が支城として築いたのが当城と考えられている。

04

相谷城山城

永源寺町相谷 小倉三河守良秀の子、左近将監良親が元亀の頃に築城したと云う。 未訪
05

九居瀬城

永源寺町九居瀬

久居瀬地区は、西家の小倉左京亮行国が所領としていたが、永禄7年頃に兵を挙げ小倉一族が内紛となり、小倉城十七代の良秀が破れ離散、宗家が乱を鎮圧したものの急速に力を失った。

06

甲津畑城

永源寺町甲津畑

永仁2年頃、速水泰氏が大和興福寺領の公文職として館を構え、代々甲津畑城を居城とし、室町時代は六角氏に臣従した。

07

おなべ舘

永源寺町高野

織田信長の側室であるお鍋の方の子・織田信吉が、天正13年に羽柴秀吉から神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を賜り館を構えた。

08

黄和田城

永源寺町黄和田

八風越の押さえに小倉氏が城郭を構え目付を置いた。
09 高野城 永源寺町高野 小倉氏の支城で、分流後は小倉東家の本拠となるが、詳細は不明。
10 石谷城 永源寺町石谷 板倉氏の居城である。
11 一色城 永源寺町一式 一色氏の居城で後に松井氏が在城した。
12 市原野城 永源寺町市原野 詳細不明。
13 市原野白鳥社城 永源寺町市原野 詳細不明。
14 殿屋敷城 永源寺町高木、上二俣 詳細不明。
15 池之脇城 永源寺町池之脇 寺院付属の山城で織田信長の近江侵攻に応じて築かれたか。
16 山田城 永源寺町山上 山上城の支城として築かれ、後に図師氏が在城した。
17 八尾城 永源寺町山上 山上城の支城として築かれ、小倉氏の一族が在城した。 未訪
18 上二俣城 永源寺町上二俣 詳細不明。
19 山上陣屋 永源寺町山上 江戸幕閣の重鎮である稲垣氏の陣屋跡である。
2538301

小御門城

日野町小御門

五辻官守良親王が居した? 発掘調査の遺物から平安末期~鎌倉初期にかけて構築された。詳細不明。
02

園城

日野町原

詳細不明。
03

四ッ谷城

日野町奥師、中之郷

小倉氏の本城佐久良城に対する支城で、一時期蒲生氏も領有していたと云う。
04

中野城

日野町西大寺

大永5年(1525)以後の蒲生氏の本城である。
05

音羽城

日野町音羽

六角氏重臣である蒲生氏が応仁・文明年間(1467~1486)に築城し、小谷城から移り代々居城したが、大永2年・3年(1522、3)の一族内紛後に破却された。
06

雲迎寺

日野町音羽

蒲生氏の支流音羽氏と深い関係があり、蒲生氏との強いつながりがある寺院と考えられている。
07

佐久良城

日野町佐久良

小倉城を本拠とした小倉氏一族が室町中期に分裂し、小倉本家が当地に移って来て居城として築城した。
08

長寸城

日野町佐久良

応仁文明の頃に下司職の小倉氏が築城した支城と考えられている。
09

鳥居平城

日野町鳥居平

蒲生氏の臣の寺倉氏と吉倉氏の砦と云う伝承しかないようだが、城郭規模の大きさから蒲生氏もしくわ小倉氏の支城との議論がある。
10

鎌掛城

日野町鎌掛

音羽城主蒲生氏の支城として南北朝期に創築、文禄2年(1593)廃城と伝わる。
11

鎌掛山屋敷

日野町鎌掛

鎌掛城に付随した屋敷跡と考えられている。
12

下迫城

日野町下迫

蒲生氏の支流三木氏の居城と考えられている。
13

上迫城

日野町上迫

蒲生氏の支流儀俄氏の在住した所で、その居城か。
14

小谷城

日野町小谷

蒲生氏の支流小谷氏の屋敷跡で、蒲生氏は初め小谷城に居たが音羽城に移った。
15

摂取院

日野町内池

蒲生氏郷の曽祖父の高郷の隠居所。法名を寺号としている。
16

木津岡山城

日野町木津

蒲生氏の家臣岡氏の居館との伝承がある。
17

小井口城

日野町小井口

原氏の居城とされる。
18 桜内城 日野町北脇 街道の見張り場所? 蒲生氏の一族室木氏の居城跡と考えられている。
2538201

大塚城

蒲生町大塚

六角氏に仕えた大塚氏の居城跡である。
02

上南城

蒲生町上南

安部井氏の舘城跡と考えられている。
03

市子殿城

蒲生町市子殿

武藤氏の舘跡と考えられている。
2538401

井上氏舘

竜王町鏡

井上氏代々の館跡と考えられている。
02

野寺城

竜王町川守

六角氏の支流、六角氏の「弓の家」である吉田一族が在城した。
03

川守城

竜王町川守

吉田出雲守屋敷跡の伝承がある。
04

星ケ崎城

竜王町星ケ崎

六角氏旗頭の鏡氏の居城である。
       
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No 城 郭 名 所 在 地 概         要 遺存度
2534301

永原御殿

野洲町永原

徳川将軍が上洛する際の宿泊所で、慶長6年(1601)に徳川家康が最初に宿泊し、以後、家康が6回、二代秀忠2回、三代家光が寛永11年(1634)に泊まったのが最後で計10回利用された。
02

木村舘

野洲町北

木村氏の居館跡である。
03

高木舘

野洲町高木

高木氏の居館跡と云われる。
04

三上城出城

野洲町小篠原

六角氏の家臣三上氏が永享年間(1429~41)に築いたと伝わる。三上城の出城と考えられている。
05

三上舘

野洲町妙光寺

三上氏の上、中、下屋敷と呼ばれる居館跡である。
06

小堤城山城

野洲町小堤 文明の頃、永原城の詰城として、永原氏が築いたとされている。
07

古城山城

野洲町大篠原 正安2年(1300)または応永8年(1401)に六角氏が築き、家臣の馬淵氏に守備させたと伝わる。
08

夕日ヶ丘城

野洲町成橋

田中四郎右衛門・奥左門守が在城していたと伝わる。
09

桜生城

野洲町小篠原

澤氏の居館跡である。
10 桜生出城 野洲町小篠原 桜生城の出城で東山道を監視した。
11

市三宅城

野洲町市三宅

三宅氏の居館跡である。
12 上永原城 野洲町上屋 野洲・栗太・甲賀の一部に勢力を張った永原氏の居館跡である。
13 三上陣屋 野洲町三上 元禄11年(1698)に郡上八幡の遠藤氏が近江国三上村に領地替を命じられ三上藩が成立した。
2534201

兵主神社

中主町五条

鎌倉時代の豪族播磨守資頼の邸跡と云われている。
02

比留田城

中主町比留田

詳細不明
03

落窪城

中主町乙窪 詳細不明
04

六条城

中主町六条

詳細不明
2520701

浮気城

守山市浮気町

浮気時房によって築かれた。浮気氏は、北条氏の出身で、北条時綱が浮気を領したことに始まるとされる。
02

矢島御所

守山市矢島町

在地領主矢嶋氏の居館跡で、永禄8、9年(1565)には足利義昭の居所であった。
03

金ケ森城

守山市金森町

一向宗寺内町の跡で、織田信長との合戦に際し城砦化された。ここで金森長近が父と若き日を過ごした。
04

欲賀城

守山市欲賀町

寺田氏の居館跡とされ、今も欲賀寺の住職を務められる。複数の方形居館の存在が想定される。
05

立入城

守山市立入町

六角氏の家臣立入氏の居館跡である。立入氏は、御倉職として朝廷復興に尽くした立入宗継を輩出した。
06

三宅城

守山市三宅町

一向宗蓮生寺が城郭化したと考えられ、元亀2年(1571)織田信長とのた金ケ森合戦の際の出城で、金ヶ森城とともに落城した。
07

大林城

守山市大林町

六角氏の家臣宇野久実が応永34年(1427)にそれまでの戦功によりこの地を領し、居城を構えた。
08 古高城 守山市古高町 詳細は不明であるが、古高氏が居城していたと考えられる。
09 守山城 守山市守山町 応永8年(1401)に宇野一元によって築かれた。織田信長は稲葉一鉄を守将とした。
10 勝部城 守山市勝部町 明応~大永年間にかけて永原重頼によって築かれた。
11 小浜城 守山市小浜町 築城年代は定かではないが、六角氏重臣の進藤山城守貞治によって築かれた。
12 大槻氏城 守山市木浜町 建久年間に大槻氏によって築かれた。
13 木浜城 守山市木浜町 六角氏重臣の進藤山城守の居城と伝えられる。
14 焰魔堂城 守山市?魔堂町 築城年代や築城者など詳細は不明である。
2520801

釣陣所

栗東市釣

足利義尚が長享元年(1487)所領を押領した六角高頼を討伐するため、近江へ出陣した時の陣所である。
02

多喜山城

栗東市六地蔵

元亀2年(1571)以降に栗太郡一帯を支配する目的で佐久間盛政により築城されたとされる。
03 井上城 栗東市井上 詳細不明
2520601

奥村城

草津市馬場町

奥村但馬守の居館と伝わる。

02

山寺城

草津市山寺町

宇野氏の居城と伝わる。宇野氏は、江戸時代も膳所藩の志津郷代官として栄えた。

03

芦浦観音寺

草津市芦浦町

天台宗寺院で応永15年に歓雅が再興したと伝わる。歴代住職のうち、三傑僧と呼ばれた八世賢珍・九世詮舜・十世朝賢らは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と交わり、九世詮舜は秀吉より船奉行に任じられた。

04

青地城

草津市青地町

近江守護佐々木定綱の五男・馬淵定弘の四男基綱が青地に進出し、青地氏を称した。青地城は、基綱の子忠綱によって築かれたとされる。

05

山田城

草津市山田町

鎌倉時代に山田氏よって築かれ、比叡山攻撃時に信長が入城した。山田港の押さえと考えられる。 未訪
                
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No 城 郭 名 所 在 地 概         要 遺存度
2536101 石部城 石部町石部 文明年間(1469~87)に三雲氏が築き、享禄年間(1528~32)には石部右馬允家長が居城した。
2536201 西正福寺城 甲西町正福寺 詳細不明。
02 東正福寺城 甲西町正福寺 青木氏の居城と伝わるが詳細は不明である。
03 谷城上城 甲西町菩提寺 六角氏の近習である谷武兵衛兼修の居城と伝わる。
04 谷城下城 甲西町菩提寺 六角氏の近習である谷武兵衛兼修の居城と伝わる。
05 青木館 甲西町菩提寺 青木弥田郎屋敷と呼ばれるが詳細は不明である。
06 菩提寺城 甲西町菩提寺 青木忠左衛門正信の居城と伝わる。
07 丸岡城 甲西町柑子袋 青木藤兵衛尉が建久年間(1190-98)に築城し、柑子袋東寺平松を領したと伝えられている。
08 東丸岡城 甲西町柑子袋 青木治部の居城と伝わるが、詳細は不明である。
09 三雲城 甲西町吉永 近江国守護六角氏の旗頭である三雲氏の居城で、長享元年(1487)に三雲典膳が六角高頼の命により築城したと伝えられる。一説には、三雲新左衛門賢持が築いたとも云われる。
2536301 水口岡山城 水口町水口 天正13年(1585)羽柴秀吉の家臣中村一氏によって築かれた。築城にあたっては大溝城を破却した部材を使用した。
02 水口城 水口町水口 寛永11年(1634)徳川三代将軍家光の上洛に際して、東海道の宿所として築かれた。作事奉行は小堀政一(遠州)であった。
03 植舘 水口町植 山中丹後守為俊の築造に係る邸址と伝わる。
04 西出舘 水口町宇田 詳細不明
05 山中氏屋敷 水口町宇田 南北朝時代に柏木の山中氏が御厨の代官職となり構えた屋敷である。。
06 東迎山城 水口町下山 伴氏の城か。詳細不明
07 西迎山城 水口町下山 伴氏の城か。詳細不明
08 北脇城 水口町北脇 柏木地域を支配していた山中氏に関係する城か。
09 柏木神社遺跡 水口町北脇 詳細不明
10 下山城 水口町下山 伴氏の城と伝わる。
11 伴屋敷城 水口町下山 延慶年間に伴太郎左衛門景秀が築いたと伝承される。
12 津山城 水口町下山 地元では津山氏が城主と伝えるが、甲賀郡志は後世の誤伝とする。伴氏の城か。
13 下山北城 水口町下山 伴氏の城か。詳細不明
14 伴中山城 水口町伴中山 伴氏の城か。詳細不明
15 畑村城 水口町春日 伴氏の城か。詳細不明
16 山村田引城 水口町山 詳細不明
17 山村城 水口町山 佐々木氏の麾下士の築くところと伝承される。
18 北内貴城 水口町北内貴 永禄年間に美濃部茂忠が築き、その子治茂の室比佐女が住したとされる。
19 内貴川田山城 水口町北内貴 詳細不明。内貴氏に関係する城か。
20 内貴殿屋敷 水口町貴生川 詳細不明。内貴氏に関係する城か。
21 北虫生野城 水口町虫生野 詳細不明。
22 虫生野堂の前城 水口町虫生野 詳細不明。
23 平子城 水口町岩坂 衛藤氏の砦阯と伝わるが、詳細は不明である。
24 源太屋敷城 水口町岩坂 篠原源太の邸阯と伝わるが、詳細は不明である。
25 高山屋敷 水口町高山 詳細不明。高山氏に関係する城か。
26 御姫屋敷城 水口町高山 詳細不明。
27 一学殿屋敷 水口町高山 江戸初期に領主美濃部氏が設けた陣屋跡である。
28 高山氏城 水口町高山 高山源太左衛門の城阯と伝わるが、詳細は不明である。
29 小山城 水口町三大寺 詳細不明。
30 奥谷城 水口町三大寺 詳細不明。
31 三大寺竹中城 水口町三大寺 詳細不明。
32 牛飼城 水口町牛飼 詳細不明。
33 山上Ⅰ城 水口町山上 山上氏の城か。詳細不明
34 山上城 水口町山上 山上氏の城か。詳細不明
35 杣中城 水口町杣中 芥川氏の城か。詳細不明
36 嶬峨西城 水口町嶬峨 儀我備後守の城と伝わる。 未訪
37 嶬峨城 水口町嶬峨 儀我氏の詰城とされる。
38 平野城 水口町和野 詳細不明。
39 伊佐野城 水口町和野 伊佐野氏の城とされるが、詳細不明である。
2536401 今宿城 土山町大野 詳細不明であるが、江戸時代に宮川藩の陣屋が一時置かれ、その後、南方に移転してた。
02 大野山本城 土山町大野 詳細不明であるが、大野氏に関係する城郭か。
03 大野城 土山町大野 室町時代に大野大蔵大夫によって築かれ、佐々木六角氏に仕えたが、織田信長に滅ぼされたとされる。
04 山本神社遺構 土山町大野 詳細不明。
05 頓宮城 土山町頓宮 鎌倉期に所を得て土山における有力土豪として成長した頓宮氏の城である。長亨年間に音羽野城に移住し、廃城になった。
06 音羽野城 土山町瀬ノ音 文明年間に頓宮四方介利盛が音羽野村を領して築城し、頓宮城より移り住んだ。甲賀破儀で改易された。
07 土山城 土山町北土山 文明年間に音羽野城主頓宮四方介利盛の二男土山鹿之助盛忠の築いた城とされる。天正10年瀧川一益のために亡ぼされ、廃城になった
08 黒川氏城 土山町鮎河 永禄年間に黒川玄蕃佐が築いたとされる。天正13年豊臣秀吉に黒川を除く地域を没収され廃城となった。
09 大河原氏城 土山町鮎河 長享年間に大河原源太が鮎河をの地を領有し築城。天正13年甲賀破儀よって黒川氏とともに改易、廃城になった。
10 高尾城 土山町鮎河 建武5年に南朝方の頓宮肥後弥九郎が五辻宮守良親王を奉じて「鮎河城」に立て籠もったが、北朝方の佐々木秀綱に攻められ同年2月に落城している。その後、4月に鮎河の「鷲尾城」に立て籠もったが、再び落城して伊勢に逃れた。
11 鮎河城 土山町鮎河
12 黒川砦 土山町黒川 詳細不明
2536601 新宮城 甲南町新治 服部氏の城か。詳細不明
02 新宮支城 甲南町新治 服部氏の城か。詳細不明
03 村雨城 甲南町新治 詳細不明
04 寺前城 甲南町新治 詳細不明
05 服部城 甲南町新治 服部氏の城か。詳細不明
06 杉谷砦 甲南町杉谷 杉谷城の出城か。詳細不明
07 望月支城 甲南町杉谷 望月氏の城か。詳細不明
07 望月城 甲南町杉谷 望月氏の城か。詳細不明
08 杉谷城 甲南町杉谷 杉谷氏の居城か。詳細不明
09 竹中城 甲南町新治 詳細不明
10 倉地城 甲南町新治 倉治左近の城と伝わる。
11 饗庭城 甲南町竜法師 詳細不明
12 古屋敷館 甲南町市原 正平15年(1360)仁木義住が伊賀・伊勢の兵を率いて、佐々木高秀の手の者が守る市原城を攻撃したとの記録があり、この館と考えられている。
13 市原Ⅱ城 甲南町市原 詳細不明
14 磯尾城 甲南町磯尾 地元に伝承も無く、ほとんど削平されておらず、城郭遺構か不明である。
15 竜法師城 甲南町竜法師 詳細不明
16 野尻城 甲南町野尻 詳細不明
17 野尻支城 甲南町野尻 詳細不明
18 小谷城 甲南町池田 詳細不明であるが、在地土豪の池田氏に関係する城か。
19 小出城 甲南町池田 詳細不明であるが、在地土豪の池田氏に関係する城か。
20 池田西城 甲南町池田 詳細不明であるが、在地土豪の池田氏に関係する城か。
21 池田東城 甲南町池田 詳細不明であるが、在地土豪の池田氏に関係する城か。
22 中野城 甲南町池田 室町期に池田大和守が築いたと云われる。
23 坊谷城 甲南町池田 詳細不明であるが、在地土豪の池田氏に関係する城か。
24 望月青木城 甲南町柑子 望月為三郎重武の居城とされる。
25 望月村嶋城 甲南町柑子 文明12年(1480)の築城にして望月村島守重元其子重房等の居りし所とされる。
26 村嶋支城 甲南町柑子 詳細不明であるが、在地土豪の望月氏に関連する城と推測される。
27 野川城 甲南町野川 詳細不明
28 谷出城 甲南町下馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
29 西出城 甲南町下馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
30 小池城 甲南町下馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
31 染田砦 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
32 岡之下城 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
33 馬杉中城 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
34 井口氏城 甲南町上馬杉 詳細不明
35 馬杉北城 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
36 馬杉城 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
37 馬杉支城 甲南町上馬杉 詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。
38 馬杉本城 甲南町上馬杉 馬杉丹後守の築く所にして、元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる。
39 栢ノ木城 甲南町上馬杉 伊賀国の藤林長門守城の支城と考えられているが、詳細は不明である。
2536501 殿山城 甲賀町和田 和田氏の本拠・和田谷の出入口に設けられた監視所的な城郭と思われる。
02 公方屋敷 甲賀町和田 永禄8年(1565)和田氏の誘導で興福寺を脱出した覚慶(後の第15代室町将軍義昭)が滞在した屋敷である。
03 公方屋敷支城 甲賀町和田 殿山城と対になる形で和田谷の口を押さえている。詳細不明
04 和田支城Ⅰ 甲賀町和田 和田川左岸の最奥部に位置し、対岸に和田城がある。詳細不明
05 和田支城Ⅱ 甲賀町和田 和田川の左岸に位置し、和田支城Ⅰと狭い谷を隔てた北の丘陵先端にある。詳細不明
06 和田支城Ⅲ 甲賀町和田 和田川の左岸に位置し、和田支城Ⅱと狭い谷を隔てた北の丘陵先端にある。詳細不明
07 和田城 甲賀町和田 応仁年間(1467~69)に和田左京太夫が砦を築いたとされ、和田川右岸の最奥部に位置し、構造も複雑であることから和田谷の中心的城郭と考えられる。
08 高嶺北城 甲賀町高嶺 高嶺氏の集落支配の城と考えられる。詳細不明
09 高嶺中城 甲賀町高嶺 高嶺氏の集落支配の城と考えられる。詳細不明
10 高嶺東谷城 甲賀町高嶺 高嶺氏の集落支配の城と考えられる。詳細不明
11 高嶺山城 甲賀町高嶺 高嶺氏の築城とされる国境防備を意図した城と思われる。詳細不明
12 伊賀見城 甲賀町高嶺 高嶺氏の築城とされる国境防備を意図した城と思われる。詳細不明
13 高嶺南城 甲賀町高嶺 高嶺氏の築城とされる国境防備を意図した城と思われる。詳細不明
14 隠岐城 甲賀町隠岐 元弘年間に佐々木兵庫頭清三が築いた。祖先は隠岐国主なるを以って氏を隠岐と改めた。
15 打越城 甲賀町隠岐 この地を本拠としていた隠岐氏の城館群の1つと考えられている。詳細不明
16 砂坂城 甲賀町隠岐 この地を本拠としていた隠岐氏の城館群の1つと考えられている。詳細不明
17 神保城 甲賀町神保 室町期に神保兵内が築いたとされるが、詳細不明。
18 佐治城 甲賀町小佐治 平安時代末期の康平5年(1063)、平業国が伊豆国より佐治郷に転封して佐治城を築いたと伝えられる。
19 岩室城 甲賀町岩室 室町期の正応年間(1288~92)に岩室大学家教が岩室を領して築いたと伝わるが、詳細不明。
20 高野城 甲賀町高野 高野地区を所領としてきた土豪である高野氏の城と考えられているが、詳細不明。
21 高野東城 甲賀町高野 高野地区を所領としてきた土豪である高野氏の城と考えられているが、詳細不明。
22 補陀楽寺城 甲賀町大原市場 詳細不明
23 鳥居城 甲賀町鳥居野 文明年間(1469-87)に鳥居兵内が築いたとされる。
24 篠山城 甲賀町鳥居野 大原氏一族である篠山理兵衛景春が築いたが、完成しなかった。
25 大鳥神社遺構 甲賀町鳥居野 大鳥神社と河合寺に伴うものとして城郭類似遺構とされる。
26 垂井城 甲賀町大原中 明応年間(1492~1501)に垂井甲斐守が築いたとされる。
27 大宝寺遺跡 甲賀町大原中 明応年間(1492~1501)に垂井甲斐守が築いたとされる。
28 大原上田城 甲賀町大原上田 大原三之助が築いた山城であるが、詳細不明。
29 滝川城 甲賀町櫟野 滝川氏の本城と伝えられ、市指定史跡になっている。
30 滝川西城 甲賀町櫟野 滝川城主の滝川氏が築いた滝川城の支城と考えられる。
31 滝川支城 甲賀町櫟野 滝川城主の滝川氏が築いた滝川城の支城と考えられる。
32 櫟野大原城 甲賀町櫟野 大原伴三郎が築いた城であるが、詳細不明。
33 大原城 甲賀町田堵野 大原数馬が築いたとされるが、詳細は不明である。
34 木内城 甲賀町上野 この地を領した上野氏の居城とも、江戸時代に上野村の一部を領した旗本水野氏に関係する遺構ともされるが、詳細不明。
35 北上野城A 甲賀町上野 上野同名中を構成した甲賀武士の城館か。
36 北上野城B 甲賀町上野 上野同名中のうち中上氏の居城と伝えられている。
37 冨田山城 甲賀町上野 上野冨田氏の山城と云われるが、詳細不明。
38 観音堂城 甲賀町上野 詳細不明
39 龍泉寺城 甲賀町上野 上野同名中を構成する土豪層の城館として機能していた。
40 岡崎城 甲賀町油日 詳細不明
41 前山城 甲賀町油日 詳細不明であるが、油日城の出城と考えられている。
42 中山城 甲賀町油日 詳細不明
43 上野城 甲賀町油日 上野主膳守の城とされる。
44 油日城 甲賀町油日 詳細不明
45 富田城 甲賀町油日 詳細不明
46 五反田口城 甲賀町油日 詳細不明
47 青木城 甲賀町滝 多喜氏によって築かれたと云われるが、詳細は不明である。
48 梅垣城 甲賀町滝 室町時代に多喜勘八俊兼によって築かれたと云われるが、詳細は不明である。
49 多喜北城 甲賀町滝 城主は、多喜氏と伝わるが、詳細は不明である。
50 多喜城 甲賀町滝 弘安7年(1284)に多喜彦太郎家継によって築かれたと伝わるが、詳細は不明である。
51 多喜南城 甲賀町滝 城主は多喜氏と云われるが、詳細は不明である。
52 毛牧北城 甲賀町毛牧 詳細不明
53 山岡城 甲賀町毛牧 山岡景隆、景友が城主と伝わる。
54 獅子ヶ谷城 甲賀町毛牧 「日本城郭体系」に室町時代の城主は毛牧太郎とある。
2536701 神山城 信楽町神山 神山集落を支配した領主の居館と考えられているが、詳細は不明である。
02 小川城 信楽町小川 鎌倉時代末に鶴見長実によって築城され、天正13年(1585)頃に多羅尾光俊により大改修が行われた。
03 小川中ノ城 信楽町小川 多羅尾氏が築城した可能性が指摘されているが、詳細は不明である。
04 小川西ノ城 信楽町小川 築城年代は定かでないが小川氏によって築かれたと伝わる。
05 多羅尾古城 信楽町小川 城歴等の詳細は不明であるが、この地を支配した多羅尾氏の城郭か。
06 多羅尾城山城 信楽町多羅尾 城主が多羅尾氏と云われる。
07 多羅尾代官陣屋 信楽町多羅尾 江戸時代に幕府勘定奉行のもとで、直轄地の支配を行う代官を世襲で勤めた多羅尾氏の居館であるとともに代官所である。
08 多羅尾砦 信楽町多羅尾 城主は不明であるが、多羅尾氏に関係した城館か。
09 山口館 信楽町下朝宮 多羅尾氏と親族である旗本山口氏の陣屋跡である。
10 朝宮城山城 信楽町下朝宮 構造が大和国に見られることから、築城者を松永久秀方とする見解がある。
                  
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No 城 郭 名 所 在 地 概         要 遺存度

2520101

関津城

大津市田上関津町

承久の乱後、六角氏の旗頭青地氏に属する宇野氏が累代の居城として構えた。

02

大石東舘

大津市大石東一丁目

大石荘下司職であった大石氏が応仁の乱で一族討死し一家断絶した後、一族の小山氏が跡を継ぎ大石党を結成し、久衛門良信が構えた舘跡と伝わる。大石内蔵助良雄の祖先となる。

03

妙見山城

大津市大石東一丁目

大石東舘と尾根筋でつながる位置関係から詰城と考えられる。

04

大石城

大津市大石中三丁目

播州赤穂浅野氏家老大石氏の本家筋居館です。

05

瀬田城

大津市瀬田二丁目

土豪山岡氏の一族で、田上城主であった山岡資広が永享年間に初めて築城したとされ、以後、代々山岡氏の居城となった。山岡氏は、六角氏の被官であったが、永禄11年織田信長の入京後は織田方に属した

06

窪江城

大津市瀬田大江町

永正年間に高野氏が城主であった。戦国期に山岡氏によって改修され石垣にて天守台も作られたよう。

07

膳所城

大津市丸の内

慶長6年(1601)東海道の押さえとして、家康が地形上不利な大津城を移転させて築城した水城である
08

大津城

大津市浜大津

天正14年(1586)豊臣秀吉は坂本城を廃し、浅野長政に命じて新たに築城させた。
09

園城寺光浄院陣所

大津市園城寺町

延徳3年(1491)8月、前将軍義尚の遺志を継ぎ、細川政元の反対を押し切って六角高頼征伐を再開、みずから近江に出陣して高頼の追放に成功した際の陣所である。 未訪
10

山中城

大津市山中町

山中越えを抑えた磯谷氏の居城とされる。
11 宇佐山城 大津市錦織町 永禄13年(1570)織田信長の家臣森三左衛門可成が築いた山城である。
12

一本杉西の城

大津市坂本本町

元亀元年(1570)の志賀の陣で織田信長軍と対峙するために浅井・朝倉軍が叡山一帯に築いた砦跡の一つである。 未訪
13 御輿山・白鳥山遺構 大津市坂本本町 元亀元年(1570)の志賀の陣で織田信長軍と対峙するために浅井・朝倉軍が叡山一帯に築いた砦跡の一つである。
14

壺笠山城

大津市坂本本町

元亀元年(1570)の志賀の陣で織田信長軍と対峙するために浅井・朝倉軍が叡山一帯に築いた砦跡の一つである。
15 青山城 大津市坂本本町 元亀元年(1570)の志賀の陣で織田信長軍と対峙するために浅井・朝倉軍が叡山一帯に築いた砦跡の一つである。
16

坂本城

大津市下坂本三丁目

元亀2年(1571)9月の山門焼き討ち後、明智光秀が織田信長に命じられ築いた水城である。
17 雄琴城 大津市雄琴二丁目 和田秀純が永禄9年(1566)に六角義秀から滋賀郡を与えられ雄琴城に入城したとされる。
18

生津城

大津伊香立下在地町

六角氏に属した林宗林坊の居城と伝わる。
19

細川城

大津市葛川細川町

詳細不明 未訪
20

堅田陣屋

大津市堅田一丁目

大老堀田正俊の三男正高が、元禄11年(1698)に佐野藩から滋賀郡・高島郡内1万石へ移封され、堅田に陣屋を築いた。
21 真野城 大津市真野六丁目 真野氏が築いて在城し、六角氏の物頭を努めた。
22 衣川城 大津市衣川二丁目 山内義重が寿永3年(1184)粟津の合戦で勲功をたて衣川領を賜り、築城した。
2530101 歓喜寺の遺構 志賀町大物 天台宗の古刹点寧山歓喜寺の僧坊が元亀争乱において城塞化したとされる。
02 歓喜寺山の遺構 志賀町大物 天台宗の古刹点寧山歓喜寺の僧坊が元亀争乱において城塞化した際の詰城とされる。
03 木戸山城 志賀町木戸 築城者や年代は不明な点が多いが、佐野氏が、「木戸村の山に砦を築く。元亀三年信長滅ぼす。諸氏山中に隠れる。」とあり、佐野氏に関係する城郭とされる。
04 ダンダ坊遺跡 志賀町北比良 平安時代に始まり、元亀年間の織田信長との抗争で破壊された比良山中最大の寺院遺跡である。
                  
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No 城 郭 名 所 在 地 概         要 遺存度
2552101

田屋城

マキノ町森西

海津衆と呼ばれた在地土豪である田屋氏の詰城とされる。田屋氏は浅井氏と縁戚関係を結び、浅井氏の高島進出に大きな役割を果たした。
02 海津(西内)城 マキノ町海津 『浅井三代記』に海津政元の居城であったと伝える。
03 海津東内城 マキノ町海津 詳細不明
04 海津願慶寺城 マキノ町海津 海津三浦衆と称する一向宗徒の有力寺院で寺城である。
05 海津山城 マキノ町海津 未訪
06 沢村城 マキノ町沢村 南北朝期に饗庭氏が築城したのち、田屋淡路守が居住したと伝わる。
07 長法寺館 マキノ町沢村 田屋淡路守の居館跡に道場を建立したと伝わる。
08 石庭城 マキノ町石庭 田屋氏の家来である寺井氏の居館と推測されている。
09 野口館 マキノ町野口 七里半街道を押さえる有力土豪の居館跡か。詳細不明。
10 西浜砦 マキノ町西浜 詳細不明
11 小荒路の遺構 マキノ町追坂 天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦における柴田軍の南下を阻止する陣城跡か。
2552301

西山城

朽木村市場

朽木氏の居城である朽木城背後の山上に位置し、詰城と考えられている。
02

朽木城(陣屋)

朽木村野尻

15世紀初めには、朽木氏が居城を構えていた。その後、江戸時代には、同氏の陣屋が置かれた。
03

岩神舘

朽木村岩瀬

元は朽木氏の分家の岩神殿の屋敷と考えられており、享禄元年(1528)将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、朽木氏に身を寄せた際、朽木稙綱が造営した舘と庭園跡である。
04

湧出舘

朽木村村井

詳細不明
05

池の沢庭園

朽木村村井

平安後期から鎌倉前期の庭園跡のようである。
2552201

伊井城

今津町日置前

長享元年(1487)に六角高頼が足利義尚の遠征に備えて築いた「河上の城」に推定される。
02 角川砦 今津町角川 承久年間(1219~21)頃に当地に住したと伝えられる角川氏に関係する城砦か。詳細不明。
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五十川城

新旭町饗場

吉武壱岐守の本城とされる。
02

日爪城

新旭町饗場

饗場氏の一族で山門領荘官の日爪氏の創建と推定される。
03

清水山城

新旭町熊野木

応仁年間(1467~69)に為綱が創建し、元亀3年(1572)に信長が高島郡を攻略するまでの約100年間、高島氏の本城であった。
04

井ノ口舘

新旭町井ノ口 清水山城の麓にある館跡とされる。詳細不明。
05

新庄城

新旭町新庄

清水山城の出城の伝承がある。城主は新庄氏や浅見氏、多胡氏とも伝わる。元亀4年織田信長は多胡宗右衛門に本知を安堵し、新知を磯野員昌に申しつけ、天正2年員昌が城主となった。

06 日爪の遺構 新旭町饗場 日爪城の根古屋とされる。
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船木城

安曇川町北舟木

平井氏から分かれた佐々木能登守が城主と伝わり、13世紀中頃に入部か。

02

小川城

安曇川町上小川

小川氏の居城と伝わる。

03

五番領城

安曇川町五番領

山崎氏の居城と伝わる。

04

三重生城

安曇川町常磐木

川副氏が城主と推定される。

05

田中城

安曇川町田中

田中氏の居城と推定され、天台寺院の松蓋寺の跡地でもある。
06

田中砦

安曇川町田中

詳細不明
07

太山寺城

安曇川町田中・中野、高島町武曽横山

天台寺院の太山寺の寺坊遺構を横山・田中・朽木氏のいずれかが城塞化したと考えられている。
08 三重生砦 安曇川町常磐木 詳細不明
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永田城

高島町永田

永田氏の居城と伝わる。詳細不明。

02

大溝城

高島町勝野

天正6年(1578)に織田信長の甥織田信澄によって築かれた。縄張りは、明智光秀とされる。
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打下城

高島町勝野

清水山城の出城と伝わる他、林員清(與次左衛門)の城と伝わる。元亀4年(1573)信長が員清の所を陣所としている。
04

長法寺城

高島町長法寺 高島七ケ寺の一つ長法寺跡にある。詳細不明。
05 伊黒城 高島町高島 城主として浅賀左近尉、林右京亮、法泉坊新庄俊長が確認され、法泉坊は浅井氏に属したが織田信長に降参し、浅井氏に攻め滅ぼされた。
06 武曽城 高島町武曽 横山城の支城で横山下野守高長のとき横山の本城と共に浅井長政に降り、元亀3年織田信長に降伏した。
07 横山城 高島町横山 横山氏の代々の居城である。横山下野守高長のとき浅井長政に降り、元亀3年織田信長に降伏した。
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