No25363−06 No25363−07
東迎山城 西迎山城
(ひがしむかいやまじょう) (にしむかいやまじょう)

北側の土塁 東側の虎口

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町下山字迎山 所在地 : 水口町下山字迎山
築城年 : 築城年 :
形  式 : 平山城 形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀、虎口、土橋 遺  構 : 土塁、堀、虎口、
訪城日 : 平成23年3月19日 訪城日 : 平成23年3月19日

歴   史
両城とも伴氏の城とされるが、詳細は不明である。
伴氏は、伴谷地域をその勢力下においた土豪で、延慶年間(1308〜10)に櫟野(いちいの、甲賀町)から伴太郎左衛門景秀が伴谷に移り住んだと伝えられる。
戦国時代には、近隣の柏木・山中氏、水口・美濃部氏と「柏木三方中惣」を組織した。

構造と感想
水口丘陵上にある「さつきが丘」中央を南北に貫く道路を挟んで、東側に東迎山城が、西側に西迎山城が位置し、その間は100m程で、いずれも丘陵北側の尾根先端部に築かれている。

・・・・東迎山城・・・
丘陵続きの南・東側と丘陵下方の北側に横堀が残る。西側は道路により消失したと思われる。横堀の深さは城内側5m、城外側は2mを測る。現在は、東側横堀の北端部と北側横堀が水堀となっている。南側中央と北東隅に虎口が開き、土橋状になって堀を渡る。東と西に高さ4〜5mの土塁を巡らし、一部南北側にも伸びている。東西約60m、南北約50mの単郭方形で甲賀における典型的な城郭遺構が良く残されている。
北東の虎口より城址に入ると、虎口外側の堀、土橋、虎口、土塁、郭内が確認できる。主郭内は南東隅が一段高く、他は良く削平され、しいたけ栽培に利用されている。

・・・・西迎山城・・・・    
丘陵続きの南側を削り残して土壇状とし、そこから北へ派生させた土塁で四囲を囲繞して主郭としている。城域の南半分は、土壇から続く斜面となっており、土塁も地形に沿って南から北に下がっている。その高さは北側で2〜3mを測る。南側土壇の丘陵続きは、工場団地の造成で改変されているが、一部に堀の痕跡が残っており、堀で遮断されていたと思われる。現在も東・西側と北側に横堀が残り、北と西側の横堀は湿地状となっている。堀の深さは城内側で約5m、場外側で約0.5〜1mである。郭内は東西約50m、南北約70mを測るが、北半分のみが平坦で、南半分は緩斜面で利用できない。虎口は、北側と東側に開口している。
北側の虎口から入り、東側土塁上を歩き、南端の土壇まで登ると外は工場でした。郭域は竹と雑木が繁茂し見通しが悪い。

道 案 内
国道1号が新道と旧道に分岐する名坂交差点から国道1号を西に2.5km程走るとさつきが丘交差点に至る。そこを右折し、北方向に900m程道なりに進むと工場群が切れ、丘陵の端部となり、その両側に城跡がある。車は左手の集会所に駐車させて頂いた。
東迎山城は丘陵を下る中程にある小道との十字路の南東側道路沿いにある。
西迎山城は丘陵を下り始めにあるT字路で左手の集落内に入り、150m先の分かれ道を左手に進む。90m程行った左手の建物の裏山が城跡である。

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東迎山城の郭内 西迎山城東側の空堀