No25366−26 No25366−27
村嶋支城 野川城
(むらしましじょう) (のがわじょう)

村嶋支城 開口部と奥に祠 野川城 北端の郭と土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲南町柑子字向川 所在地 : 甲南町野川字樫ヶ本、谷
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、竪堀、堀切、土橋、虎口 遺  構 : 土塁、堀切
訪城日 : 平成24年5月5日 訪城日 : 平成24年4月29日

歴   史

・・・・村嶋支城・・・・は詳細不明であるが、在地土豪の望月氏に関連する城と推測される。
・・・・野川城・・・・は、城歴等の詳細は不明である。


構造と感想
・・・・村嶋支城・・・・は、甲南町柑子集落の東側、丘陵から西へ張出す先端部の背後に南北から谷が食い込み、南北に細長く残された独立丘状の丘陵の頂部に築かれている。
南北に細長い頂部を東と西に分割する長さ40m程の土塁が掘り残され、その両端が西側に折れている。土塁の両側は帯状の細長い郭に造成され、西側の郭は西面を除く三方に土塁がめぐり、郭内は三段に築成され、南から北に低くなっている。北端の段には祠が建てられ、北西隅に開口部があり、北の尾根筋を6、70m下ると堀切が設けられている。堀切を越え更に下ると麓に至る。
土塁の東側は、巾5m程の一段築成の郭で、北端から東へ丘陵続きとなる始点部に一段高い方形の削平地を設け、その先を土橋を残した堀切で遮断している。南端は東側に小さな竪堀を落とし、西側は北西方向に塹壕状の堀を設けるが、途中で途切れ、その下方に防御遺構は見られない。
麓から祠までのは、お参りのために手入れがなされているが、その先は灌木などで覆われ、写真撮影は難しい状態にある。
登り口は、村の中で同じ職場の顔見知りの方に偶然お会いし教えていただいた。感謝。
・・・・野川城・・・・は、甲南町下野川集落の中ほど、南西側の丘陵先端に築かれており、東麓の福泉寺からの比高は約25mを測る。丘陵先端の頂部を削平し、西面に土塁を削り残している。土塁の天端巾は5〜10mもあり、郭とも見られる。土塁の東側を削平し、四段の郭に造成している。南西の丘陵続きは、堀切によって遮断され、そこまでが城域である。北端の郭の東面に北麓からの通路が取り付いている。この城は、切岸が美しい。

道 案 内
・・・・村嶋支城・・・・は、新名神高速を下りた甲南IC口交差点を左折し、広域農道に入る。広域農道を北に540m程行った新治口交差点で右折し、県道337号線に入る。県道337号線を東に道なりに2.3km程行ったT字路で右折し、県道134号線に入る。県道134号線を南に1.2km程行ったY字路で左へ入り、210m程南下した左手に柑子公民館がある。その北側の道を120m程東進し、右に折れ南に55m程行った東側の倉庫奥から登城道がある。
・・・・野川城・・・・は、上記のY字路を右手に進み、その先1.2km程行った細い川を渡ったら直ぐに右折する。川沿いを進み、橋を渡った目の前が福泉寺で、そこを右折して50m程先に登り口がある。

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村嶋支城 東端の堀切と土橋 野川城 南西端の堀切
村嶋支城 塹壕状の堀 野川城 西側の切岸