No25363−24 No25363−25
源太屋敷城 高山屋敷
(げんたやしきじょう) (たかやまやしき)

源太屋敷城 虎口内より  高山屋敷 北側の堀

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町岩坂字菖蒲谷 所在地 : 水口町高山字沢山
築城年 : 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 居館
遺  構 : 土塁、土壇、堀切、虎口 遺  構 : 土塁、堀、虎口
訪城日 : 平成25年3月30日 訪城日 : 平成23年11月3日

歴   史
・・・・源太屋敷城・・・・は、「甲賀郡志」に「相伝土豪篠原源太の邸址なり」と記されているが、中世の岩坂には、山中同名中一員の山中岩坂氏が居住していたと云われ、それとの関係など詳細は不明である。
・・・・高山屋敷・・・・の城歴等の詳細は不明であるが、高山を領したのは高山氏であり、近隣の高山氏城一学殿屋敷が高山氏の城阯や邸阯とされることから、当屋敷も高山氏に関連する邸阯か。

構造と感想
・・・・源太屋敷城・・・・は、水口町の岩坂集落の南東、飯道山から北にのびた尾根の先端に築かれている。
城の構造は、約30m四方の主郭とその北西側の歪な削平地群とからなっている。
主郭は西、北、東に土塁を設け、南面は郭の造成のために切り込み残った斜面の頂部を土壇状に成形し、両サイドの小さな谷地形を活かして堀切状とし遮断を図っている。さらに南側の尾根上に削平された痕跡が二ヶ所ほどあり、その先は平坦な自然地形が続き、どこまでが城域か分かり難い。
主郭の虎口は、北東隅に開き、虎口外側の斜面に逆L字状の竪土塁が北西に伸び、その竪土塁を回り込みUターンして虎口前に出、虎口前では左に直角に折れて郭内に入る。虎口両サイドの土塁上からの制圧を受ける構造で、本城には不釣り合いな巧みな構造の虎口である。
主郭の北西側下方に小さな谷が入り込み二股となった尾根上を約20m×30mの削平地としているが、地形に制約され歪な形状をしている。また、その内に小規模な段差を伴っている。縁辺に土塁は設けられていないが、切岸が高く周囲とは隔絶されているものの、二股尾根に挟まれた谷筋は登ること可能であり、削平地から横矢も利いていることから、城道であったと思われる。
なお、この城は切岸や虎口の構えから北側平地部への遮断性が高く、背後の平坦な自然地形も使用し、広域軍事行動に対応する城砦であったと考えられている。
全体的に元の自然地形に制約され、歪な形状をし、また、鋭さに欠ける感がする城跡である。
・・・・高山屋敷・・・・高山集落の南から北西の丘陵上に複数の城郭遺構が点在している。集落北端の西側丘陵裾に所在するのが高山屋敷である。その北側には五ヶ所に分散した郭で構成される御姫屋敷城がある。
高山屋敷は、西からのびる尾根の裾部に所在し、高台の住宅の直上方に約40m四方の方形プランで築かれており、西、北、東面に堀を設け、四囲には高さ5mを超える土塁がめぐらされている。南東隅には虎口が開き、東側の堀に接続したものと思われる。その東側は住宅の造成により改変され、旧状を知り得ないが城と住宅の高低差が5mを超えており、城域の端部と見られている。
しかし、『甲賀郡志』に南東120mに位置する光照寺境内が「お屋敷」と称され、高山氏の邸阯であると記されており、周辺には他にも高台に建つ住宅が見られることから、かつての高山屋敷は周辺の宅地を含む範囲であったと考えられ、東側の宅地も付属の郭であった可能性も想定できるとされる。

道 案 内
・・・・源太屋敷城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。南西に2.5km程行った庚申口交差点で右折し県道4号線に入る。県道4号線を480m程走ると三大寺北交差点で、そこを左折する。左折から道なりに2.1km程行くと左手に下り道があり、そちらへ下り県道下のボックスを通り抜け80m先で右折する。南に100m程行ったY字路を右手に進み、120m程先のY字路でも右手に進む。集落内を190m程走ると集落を抜け、眼前の丘陵に城跡がある。
・・・・高山屋敷・・・・は、三大寺北交差点から県道4号線を660m程北西に行った変則十字路で右折する。坂道を下ると高山集落で290m程集落内を進み十字路で大きな道へ右折する。70m先のT字路を左折し、田んぼ沿いに180m程走り付近に駐車する。左手の坂道を登り突き当たった住宅背後の丘陵上が城跡である。住宅の北側丘陵に取り付き南西に回り込むと屋敷跡である。

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源太屋敷城 西面の土塁 高山屋敷 南側の土塁