No25363−26 No25363−27
御姫屋敷城 一学殿屋敷
(おひめやしきじょう) (いちがくどのやしき)

御姫屋敷城 JR南西側郭の堀切 一学殿屋敷 正面

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町高山字沢山 所在地 : 水口町高山字栗ヶ谷
築城年 : 室町期 築城年 : 江戸初期
形  式 : 丘城 形  式 : 陣屋
遺  構 : 土塁、堀切、虎口 遺  構 : ー
訪城日 : 平成23年11月3日 訪城日 : 平成23年11月3日

歴   史
・・・・御姫屋敷城・・・・の城歴等の詳細は不明である。
・・・・一学殿屋敷・・・・は、『甲賀郡志』に字栗ヶ谷に「お屋敷」と称して東西三間南北五間の邸地畑となれり是亦高山氏のもの。一説に今の光照寺の境内はその邸阯に属せりと。高山氏は甲賀五十三士の一にして長享の乱六角氏の麾下に属し鈎里の役に功あり。と記している。しかし、甲賀市史では、江戸時代前期の作成と考えられる「高山村絵図」に光照寺が立地する尾根上に「一学殿屋敷」の記載があり、江戸時代に旗本柘植氏とともに高山村を知行した美濃部一学家を指し、その陣屋が置かれていたと推測している。

構造と感想
・・・・御姫屋敷城・・・・高山集落の北に伸びる丘陵の裾部に5つの郭が点在しており、それらは総称して御姫屋敷城と呼ばれる。なお、御姫屋敷城の南側に近接し、集落に接して所在するのが高山屋敷である。
御姫屋敷城の南端の郭は、集落の北側を画する尾根の先端に位置する。約20m四方の方形をしており、高さ約1〜2mの土塁が東、南、西に設けられ、北側は一段下がった削平地が続く。
この南端の郭の北側に入り込む谷を挟み所在するのが中の郭である。中の郭は、尾根上の詰の城と尾根裾の館で構成され、根小屋式城郭に近いイメージである。尾根上の郭は、直径約40mの北に歪んだ楕円形をし、西側尾根続きを土壇状に成形し、外側を堀切で遮断している。土壇状の両側に土塁がのび外縁を囲んでいる。しかし、全体の面積に占める土塁の割合が大きく、平坦面は十分な広さが確保できていない。南東隅に虎口が開き、尾根裾の館へと通じる道が現在も残っている。館部は、南北に長い長方形で、南、東、北の三方に土塁が設けられ、郭面は平坦で面積も館に十分である。南東隅に虎口が開き、詰の城への最短の位置にあり、密接な関係が窺われる。
詰の城の上方から北にのびる主尾根の先端部に築かれたのが北端の郭で、中郭から直線距離で約70m北方の位置である。北端の郭は、JR草津線で分断される2つの郭からなっている。JRの北東側には、中央が最も高く東西に低い高低差で不明瞭な削平地が1、2段連なる小規模な連郭式山城の体をなす郭群が所在する。JRの南西側には、南面を堀切で遮断し、高さ3mを超える土塁を背後に設けた平坦面が残るが、J北東側から南東東側を大きく削り取られており、往時の姿を想定するのは難しいものの、南側に平坦地が認められるため、城域は南側に続いたと推測される郭群が所在する。
・・・・一学殿屋敷・・・・の立地する尾根は、最大幅が25mに留まり、堀・土塁を伴う方形城館を造るには無理があり、また、現況では防御遺構は全く確認できないことから、中世の城館の系譜を継承せず、江戸初期に領主美濃部氏が設けた旗本屋敷の跡と見られている。

道 案 内
・・・・御姫屋敷城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。南西に2.5km程行った庚申口交差点で右折し県道4号線に入る。県道4号線を480m程走ると三大寺北交差点で、そこを左折する。北西に660m程行った変則十字路で右折する。坂道を下ると高山集落で290m程集落内を進み十字路で大きな道へ右折する。70m先のT字路を左折し、田んぼ沿いに180m程走り付近に駐車する。左手の坂道の北側に続く丘陵の裾部に等間隔に郭が築かれているのが御姫屋敷城跡である。
坂道中程の西側に南端の郭があり、直登する。中の郭はJRから50m程手前に獣除けフェンスの扉があり、そこから山道を西に入ると左手が中の郭である。北端の郭は、中の郭の西端から北に尾根上を70m程移動すると北端の郭の南郭に至る。
・・・・一学殿屋敷・・・・は、上記の高山集落内の十字路で直進し、左に緩やかにカーブしながら80m程進むと光照寺の山門前に至る。光照寺の境内が屋敷跡である。

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御姫屋敷城 中郭の館部南東の虎口 一学殿屋敷 背後