No25364-08 | 黒川氏城 | (くろかわしじょう) |
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主郭土塁の雁木跡 | 主郭西虎口受けの石段 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 土山町鮎川字坂尻 |
築城年 : 永禄年間(1558~70) |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 土塁、空堀、石垣、堀切 |
訪城日 : 平成23年5月4日 |
◆ 歴 史 |
黒川氏城は、永禄年間(1558~69)に黒川玄蕃佐が築いたとされる。黒川氏は、観音寺城主の近江守護佐々木六角氏に属し、長享・明応の頃(1487~1501)しばしば戦功を挙げ、黒川久内は六角氏が第9代将軍足利義尚に攻められた長享の乱・鈎の陣(1487)での功により、感状を与えられるとともに黒川・黒滝を領有、これを子孫が代々継承した。黒川玄蕃佐に至り、山女原・笹路・黒川・黒滝・鮎河の松尾川東方を領し、その子八左衛門に受け継がれたが、天正13年(1585)豊臣秀吉に紀伊川堤防修築工事の責任を問われ、黒川を除く地域は没収され城は築城以来20余年にして廃城となった。 |
◆ 構造と感想 |
黒川氏城は、鈴鹿山脈西麓の山懐に所在する鮎河集落の東端、東野地区の南側、鯎川を挟み対岸の山地がなだらかに連なる尾根部分に築かれている。ここは鈴鹿山脈から流れ出た野洲川と鯎川が合流する要衝の地で、対岸の山の頂上部には大河原氏城が対峙するように築かれており、いずれも鮎川集落の全域を望める山城である。 |
◆ 道 案 内 |
黒川氏城は、新名神土山インターを下り、国道1号に向かう。国道1号との前野交差点で右折して国道1号に入る。国道1号を1.3km程東進した土山支所前交差点で左折し県道9号線に入る。県道9号を道なりに5km程行くと青土ダムに至り、ダム堤体上を通り更にダム湖・野洲川沿いに4km程進むと突き当たりのT字路となる。T字路を右折し県道507号線に入り2、300m程行った左手道路脇に小さな黒川氏城の説明板が建てられている。その付近から西に張出している尾根に取り付き直登すれば城跡である。 |
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南端の堀切 主郭の南方向 | |||
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屋敷の虎口石垣 主郭の横堀 | |||
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黒川氏の墓所 仕切りの石塁 |