東野山の標高270mに主郭が、主郭から西と西南下方に張出した2つの尾根上に竪土塁・犬走りが、両尾根の先端には小砦が設けられ、その規模は約300m×200mの範囲に及んでいる。
主郭は65m×40m程の規模で、中央に堀切を設け大きく二郭に区分されている。堀切西側の土塁を高く幅広くし、東側は低くした構えとしている。主郭の西側郭は西に下降するコの字形土塁と谷側に内枡形状虎口を設け、更に下方に両尾根を結ぶ犬走りがあり、その先は急な斜面となっている。東側郭は、堀切沿いの凸形土壇、その両端に虎口、東に鉤状土塁で囲われ、更に東に一段下がった小郭、小郭の背後が堀切となっている。
主郭から伸びる二筋の尾根には、竪土塁が下端の小砦まで200m程伸びている。西尾根端の小砦は、長方形で周囲を土塁で囲い、北東隅に虎口を設けている。郭内は、中央で段差が付いている。南西尾根端の小砦は、多角形で周囲を土塁で囲い、北東と北西の隅に虎口を設けている。西側の土塁の外に犬走り、南西下方に竪土塁が伸びている。これが堂木山まで続く防塁であろう。
また、南下方に尾根に食い込んで40m×36mの削平地がある。
急な尾根筋に設けられた長い竪土塁を見ていると、柴田勝家軍の南下を阻止する封鎖ラインの強力さがよく分かる。 |