No25503-13 堂木山砦 (どうぎやまとりで)

主郭の東土塁 現地の縄張図

城郭の概要
主郭の東虎口
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町中之郷・東野
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高238m)  
遺  構 : 堀切、土塁、犬走り、横矢桝形、竪土塁
訪城日 : 平成23年4月10日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際に、羽柴秀吉軍が柴田軍の出陣に先んじて築いた天神山砦が、行市山から林谷山の尾根筋に柴田軍が布陣したため、標高が低く、近接した天神山砦は危険となり、一筋後方の尾根に堂木山砦、神明山砦を築き北国街道の封鎖ラインを後退させた。
堂木山砦には、木下半右衛門利久を入れた。のち浮説によって神明山砦より山路将監、大金藤八郎が本砦に移されたとされる。

構造と感想
山名は、浅井氏の配下で在地の土豪・東野道義が城砦を築いたことに由来すると云われるが、詳らかでない。
東野山の標高238mの主要部は、約130m×63m程の規模があり、中央の主郭は長方形で四囲に土塁が廻り、北と南の土塁には横矢掛かりがみとめられる。南の虎口は平入りで、外に犬走りが付随する。東の虎口は喰い違い虎口で副郭に通じている。西側は堀切となり西の郭と区切られている。東の副郭も周囲を土塁が廻る。北西角に外の犬走りに通じる空堀状の虎口が設けられ、北東角の土塁が「コ」字状に張出し、虎口に対し横矢が掛かるようになっている。南東の虎口も平入りで、東側の土塁が竪土塁として伸び、その先端から東端の堀切に出られる。また、副郭の南西端にも竪土塁と竪堀が設けられ副郭の腰郭の守りを固めている。
主郭西側の堀切を隔てた西の郭は、徳利形の平坦な部分と西に緩斜する三角形部分に分かれるが、双方とも南側に低い土塁が築かれている。平坦部分の東側にも「コ」字状に土塁が設けられている。西の郭の平坦部と緩斜部の間には、不明瞭ながら枡形状虎口があり、主郭・副郭の北側犬走りから緩斜部の郭に入り、枡形状虎口を通り徳利形の郭に至るのが主郭・副郭と西の郭間の唯一の連絡路である。
緩斜面の郭から小さな堀切を経て、西へ100m程行った所には、馬蹄形の土塁を持つ出郭があり、その下が鳥打越えの切り通しである。
下草もブッシュもなく、三つの郭が複雑に連絡された縄張りを余すところなく見ることができ、織豊系陣城を満喫できる砦跡である。

道 案 内
北郭の横堀
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を5.1km程行き、余呉町役場を越えて直ぐの十字路を左折する。西に道なりに500m程進むと火葬場で道路脇に駐車し、そこから西に100m程先で右手山裾の道に入って、一本道を進んで行くと徐々に山道になり、獣除けのフェンス沿いを峠まで登る。峠からは、右手の急斜面を上がり、後は比較的水平な尾根筋を100m程行くと砦跡に至る。登り始めから25分程で到着する。
峠を左手に尾根筋を登れば神明山砦に至る。

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