No25503-09 天神山砦 (てんじんやまとりで)       

東郭の虎口 東郭の西側堀切・土橋

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町国安・天神前
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高210m) 
遺  構 : 土塁、堀切、桝形虎口、横堀(塹兵壕)、竪堀
訪城日 : 平成23年4月3日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、前年暮に羽柴秀吉軍に降った長浜城主・柴田勝豊の与力の大金藤八郎や山路将監正国、木下半右衛門利久らに砦を築かせ、丹羽長秀の兵らとともに守備させたが、目前の行市山から林谷山の尾根筋に柴田勝家軍が長期戦に備えた陣を布いたため、天神山砦は高所より圧迫され守備が困難となり、秀吉はこれを放棄し、堂木山神明山へと最前線を後退させ、東野山砦とともに北国街道封鎖ラインとした。
前線を下げた秀吉は、大金藤八郎・山路将監正国を神明山に移し木村隼人と同陣させたが、後に浮説により二人を堂木山に移したとされる。

構造と感想
中央の鞍部で東と西に分かれる。東西の頂部に土塁と腰郭が廻る郭が設けられ、尾根筋は堀切で防御を固めている。
東の主郭と腰郭の虎口は東側に開かれ外枡形を備えている。腰郭の東15m程の所に三日月状の身隠し(塹兵壕)、その10m先にも浅い横堀と低い土塁があり、これも身隠しと考えられる。さらに東に緩やかに傾斜する郭の先端が二重の身隠し。尾根先の南北に竪堀が設けら、その北東が鞍部を隔てて茶臼山砦となる。主郭の南に数段の段郭がある。
西の郭は西側に鞍部を利用した二ヶ所の堀切を穿ち、堀切間に塹壕状の小郭を設けている。北尾根にも一本堀切が入っている。主郭は繭玉状で土塁が廻る。腰郭にも要所に土塁を設けている。虎口は主郭の南、腰郭の南東に開くが平虎口である。
東西の郭を連絡する犬走りが南側に走っている。
この砦は、羽柴軍の最前線基地で北国街道の通る狭い谷筋から盆地へと地形が最初に変化する所で、柴田軍の南下を押さえる絶好の位置にあり、城域も370m×70mで羽柴軍の陣城中では田上山城に次ぐ大きさを持つ砦で、羽柴軍の戦略上重要な位置を占めた砦でることが分かる。
東主郭の土塁 現地の縄張図

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を6.7km程行った片岡郵便局を過ぎた直ぐの信号で左折する。西に道なりに400m程進むと草岡神社に至る。その裏山が砦跡である。神社付近に駐車し、神殿に向かい左背後の山道を10分程登れば砦跡に着く。神社の鳥居そばに説明板がある。

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