No25503-2 行市山砦 (ぎょういちやまとりで)       

行市山山頂付近の宿陣跡 西側の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町池原
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高659.7m) 
遺  構 : 横堀、土塁、横矢掛かり
訪城日 : 平成22年4月18日

歴   史
山名は、戦国期に浅井氏家臣の東野行一が城砦を築いたことに由来すると云われる。
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、柴田勝家重臣の佐久間玄蕃允盛政が布陣した。佐久間盛政は、柴田勝家軍先発勢の総指揮を執る将であった。
行市山(659.7m)から東方に伸びる尾根上の各ピークには、別所山(444m)、椽谷山(368m)、中谷山(320m)、林谷山(260m)の砦群が続き、勝家軍の最前線の最高所に位置したのが行市山砦で、下方に続くこれらの諸砦を統轄する戦闘司令所の役割を担っていたようである。
この合戦中、秀吉は岐阜の織田信孝が挙兵したため、4月16日に岐阜に向け出兵した。その間隙を突いて同20日早朝に佐久間盛政は、戦備の整っていない中川清秀の守備する大岩山砦に中入り攻撃を仕掛け占拠した。大岩山砦の落城を知った秀吉は大垣(揖斐川の増水で大垣に足止めされていた。)から約52kmを5時間で駆け戻り、同日午後9時には木之本に帰陣した。盛政はあまりの早い秀吉の帰陣に驚き、翌21日に入ると月明かりを頼りに退却を開始したが、前田利家、不破勝光、金森長近らが戦線を離脱し、盛政軍は南と東の二方から秀吉軍の急追を受け潰走することとなった。

構造と感想
現状は、著しく薮化しており遺構が見づらい。別所山から登って来ると堀切2本が確認できる。
山頂から約200m程手前に四囲を土塁で囲まれた長方形の砦跡がある。西に犬走り、南と北に横堀、南に枡形虎口、西に張出した横矢掛かりの土塁が設けられている。
砦から山頂へは緩斜面で山頂付近は平坦地となっており、駐屯地跡と考えられているが、明瞭な遺構は見あたらない。山頂付近は手入れされ樹木が取り除かれているので眺望がよい。砦跡付近はブッシュに覆われている。
山頂からの眺望はすばらしく賤ヶ岳合戦の城砦群を一望のもとに見渡すことができる。ただ林道の登山口から山道を1時間程度は登る必要があり、そうそう簡単に訪れることができる所でもない。また、熊も出没する。見落としのないよう時間に余裕を持って複数で訪城されるとよい。

道 案 内
木之本方面を望む
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を8.7km程行った小谷集落の中央よりやや北寄り(左側少し奥に城跡への黒地の案内板がある所)で左折する。直ぐに橋がありそれを渡り林道池原小谷線に入り、林道を3km程どんどん登って行くと右手側に大きな城跡登り口の案内板がある。その辺りで駐車し、後は徒歩で林道の右手から山道を登り10分程で別所山砦に、さらに40分程登ると山頂200m程手前のブッシュに覆われた行市山砦に至る。

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