No25503-08 林谷山砦 (はやしだにやまとりで)       

中央部郭の城址碑 中央部郭の北側土塁・横堀

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町小谷・新堂
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高253m) 
遺  構 : 土塁、横堀、犬走り
訪城日 : 平成23年4月17日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、柴田勝家軍の不破彦三勝光が大谷山砦とともに、林谷山砦も統括する主将として布陣した。
織田信長に仕へ越前府中に3万3千石を領し府中三人衆と呼ばれた。信長亡き後は、柴田勝家に仕え、この地に従軍することになった。先鋒として大岩山砦攻略に奮戦したが、前田利家の戦線離脱を見て勝光も戦線を離脱したとされる。
敗戦後、前田利家に仕え末森城の戦いで前田軍の先鋒として佐々軍と戦っている。
この砦に陣した毛受勝助・家照兄弟は、佐久間盛政の敗走により逃亡者が続出し総崩れとなった柴田軍にあって、勝家の身代わりを申し出、勝家の馬印を取り持って、林谷山砦にて激闘、奮戦した末に最期を遂げたとされる。
現地の標柱には、徳山五兵衛秀現が布陣したと表示されているが、滋賀県中世城郭分布調査では、大谷山砦に布陣した不破彦三勝光が林谷山砦も統括したとしている。

構造と感想
この砦は尾根先一帯に所在し、砦跡から南東山麓を通る北国街道を間近に監視でき、行市山城砦群の最前線陣地であることが分かる。
中央部に土塁囲みの20m×18m程の主郭があり、東側一ケ所に横矢掛かりがあり、その左右に平入り虎口が開かれている。主郭の両側尾根上の東側に延々と土塁が築かれ、西南に伸びる土塁の延長は225m程あり、所々に虎口・横矢掛かりが認められる。北東方向の土塁の延長は217m程あり、やはり横矢掛かりに虎口等が認められ、先端部は鉤状に折れている。なお、土塁の東は犬走りで、土塁内側は尾根筋一杯の広さを削平している。砦の総延長は450mにも及んでいる。
土塁囲みの主郭とその左右に延々と土塁が築かれ、土塁の内側に多くの兵を駐屯させ最前線を守備した当時が偲べる砦跡である。

道 案 内
中央部郭の南側
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を7.1km程行った今市集落バス停付近(左手に石柱と史跡案内板がある。)で左折し、220m程先の新堂集落入口付近で右折する。右折後、道なりに390m程行くと毛受兄弟の墓に至る。そこで駐車し、四阿の左手奥の獣除けフェンスの出入口から山道を登って行くこと20分程で尾根に出る。その右手尾根上に林谷山砦である。
                             

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