No25503-07 大谷山砦 (おだにやまとりで)       

北土壇の北虎口 南土壇下の南西土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町小谷
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高319m) 
遺  構 : 土塁、櫓台、
訪城日 : 平成23年4月17日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、柴田勝家軍の不破彦三勝光が砦を築き、林谷山砦も統統括する主将として布陣した。
織田信長に仕へ越前府中に3万3千石を領し府中三人衆と呼ばれた。信長亡き後は、柴田勝家に仕え、この地に従軍することになった。先鋒として大岩山攻略に奮戦したが、前田利家の戦線離脱を見て勝光も戦線を離脱したとされる。
敗戦後、前田利家に仕え末森城の戦いで前田軍の先鋒として佐々軍と戦っている。

構造と感想
この砦は南北方向の尾根上を318m×25mにわたり削平し、中央から両側に70m行った所にそれぞれ土壇が設けられ、土壇は15m×10m×1.5m位の梯形をし、南の土壇は橡谷側に虎口を設け、南東に山腹を下ると土塁囲みの小砦に到達する。
北の土壇は北側に曲尺折れ土塁を伴う虎口があり、その北西10m程外に「ハ」の字状の土塁を設けている。北の土壇にはもう一箇所橡谷に向かって開いた虎口がある。
両土壇の中間にも形状を異にする土壇があり、櫓台跡と考えられている。さらに南端部にも小櫓が設けてあったとされる。
櫓間や北土壇の北東尾根は削平が複雑で兵舎や倉庫等が仮設されたと考えられている。削平地の橡谷側には、断続して犬走りが設けてあり、所々に削平地から虎口が開いている。
土壇の壁面はスッキリと仕上げられており明瞭であるが、削平地は複雑・小規模なことから兵舎や倉庫等が仮設されたとされるのだろう。
土壇以外は、明瞭性に欠ける砦跡で、細く長い城域を持っている。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を8.7km程行った小谷集落の中央よりやや北寄り(左側少し奥に城跡への黒地の案内板がある所)で左折する。直ぐに橋がありそれを渡り林道池原小谷線に入り、林道を3km程どんどん登って行くと左手側に林道より一段高い平行する尾根道が ある。その尾根道が堀切のように寸断された所(行市山登り口の案内板の300m程手前か)がある。こそで駐車し、右手の尾根道を徒歩で10分程下っていくと橡谷山砦跡に至る。橡谷山砦の北土壇から北東の尾根筋を下っていくと小さな鞍部とピークに至る。そこが、柏谷山砦跡で、さらに北北東に70m程下ったところが大谷山砦である。
麓から登っていく場合は、小谷集落の手前の今市集落バス停付近で左折し、220m程先の新堂集落入口付近で右折する。右折後、道なりに390m程行くと毛受兄弟の墓に至る。そこで駐車し、四阿の左手奥のフェンス出入口から山道を登って行くこと40分程で橡谷山砦跡に至る。この砦から先は、上記のとおりである。

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