No25503-11 東野山砦 (とうのやまとりで)

現地の鳥瞰図 主郭と多聞櫓台

城郭の概要
北東角の土塁と横堀
別  名 : 実山城、左禰山城
所在地 : 伊香郡余呉町東野、中之郷
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高407m)  
遺  構 : 土塁、虎口、横堀、竪堀、堀切
訪城日 : 平成22年4月18日

歴   史
在地の土豪東野氏の詰城として使われたと云われるが詳細は不明である。
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、堀久太郎秀政が羽柴秀吉軍の中で最も早く当城に布陣した。現在の遺構は、堀秀政が構築したものと考えられている。
秀吉軍は、柴田勝家軍の南下ルートである余呉谷中央を走る北国街道を封鎖するため、当城から余呉谷をはさんだ堂木山砦神明山砦に至る二重の柵列を設けたとされる。勝家軍は、これを突破することが出来ず、1ヶ月に亘る膠着状態が続く中、岐阜の織田信孝が挙兵したため秀吉が岐阜に向け出陣したので、勝家軍の佐久間盛政は秀吉軍本隊の不在を突いて大岩山砦に中入り攻撃を仕掛けた。

構造と感想
秀吉軍の東側最前線を守った陣城で、大きく三つの郭から成り、巨大な土塁を矩形に組み合わせ迷路のような造りになっている。東側の南北の郭には、仕切土塁を設け二郭に区分している。その西側に巨大な土塁と横堀で仕切られた主郭が配置されている。各郭とも土塁と横堀が取り巻き、東郭の虎口は喰違い虎口で、長大な土塁から横矢がかかり、南の虎口は馬出しを使い複雑な構造としている。
この三つの郭の南北の外側には、緩やかな平坦地が広がっており、その外縁部に堀切や虎口、竪堀が設けられていることから、駐屯地に利用されたと考えられている。
林道を利用すれば車を横付けできる訪れやすい城跡である。また、説明板や縄張図も掲げられており、さらに地元の方の管理によって主要部分は草木が刈り取られているので、複雑な縄張りも容易に観察でき、中世城郭ファンを満足させる城跡である。
しかし、林道整備により中心部から東と南にのびる竪堀や南郭の先端部、北端の堀切などの一部が崩されたのが残念である。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を5.3km程行った鏡岡中学校前で右折し、東に200m程行ったT字路を左折する。西に230m程行ったところの余呉小学校グランド手前で右折し、林道東野中之郷線に入る。林道を道なりに登って行くと途中に分岐があるので左手に500m程行くと左側道端に城跡の説明板が立てられており、そこが東野山城跡で、その辺りに駐車できる。

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