No25384−04 星ヶ崎城 (ほしがさきじょう)       

南西面の石垣 主郭南方向

城郭の概要                  
別  名 : 鏡山城、星ヶ峯城
所在地 : 蒲生郡竜王町鏡 
築城年 : 室町時代中期
形  式 : 山城(標高222.6m)
遺  構 : 石垣、堀切、竪堀
訪城日 : 平成22年1月22日

歴   史

伝承では、星ケ崎城は在地土豪の鏡氏により築かれたとされるが定かでない。
鏡氏は、近江守護職・佐々木定綱の次男・定重を祖とし、その子・久綱が鏡庄を領して鏡氏を称したことに始まる。この久綱は、承久3年(1221)の「承久の乱」 に討幕軍として出陣し、美濃で討死したため家系は断絶してしまった。その後を京極宗氏の子・左衛門尉貞氏が継ぎ、鏡姓を名乗り代々佐々木氏の旗頭を務めた。
永禄9年(1566)に起きた観音寺騒動により、六角氏の家臣は各地で六角氏への叛旗を翻し、六角氏の有力な家臣であった野洲郡の永原氏も永原城や「篠原上の城」に立て籠もった。これに対し、六角承禎が当城に入り、永原氏と対峙したとされる。
なお、永禄11年(1568)織田信長の近江侵攻に際し、鏡氏は信長の調略に応じ帰参したようである。


構造と感想
食い違い竪堀
星ヶ崎城は、野洲郡と蒲生郡の郡界沿いに鏡山から北に派生した支尾根上に位置し、中山道鏡宿を眼下に見下ろしている。
城跡は、中央に約35m×20mの周囲に石垣を伴う長方形の主郭を置き、南東側中央に平虎口が開く。主郭の北側には約20m×10mの、南側には約20m×15mの削平の甘い平坦地が続いている。
主郭の石垣は、南西側に高さ2m超、長さ35m程の横長の石を整層積みしたしっかりした石垣が残り、北東側にも長さ2m程の石垣がみられる。また、南東側虎口にも石が散乱しており、本来主郭の全周に石垣が築かれていたと思われる。
なお、周辺部に城域を区切る堀切や竪堀などの防御施設は見当たらず、籠城には不向きな縄張りである。

道 案 内
現地の縄張図
名神高速道竜王インターを下りて国道477号を北に4.2km程行った西横関交差点で左折し国道8号線に入る。国道8号を南西に1.3km程進むと左手に道の駅「竜王かがみの里」があり、そこの駐車場南奥隅に駐車する。南西に向かう4、5段の階段を上がりフェンスの扉を開け、山に向かい60m程直進すると仁王参詣舎に至る。その後方から山道に入り、尾根筋まで登ったら左手に尾根筋を辿って登って行くと城跡に到達する。
              

TOPへ 戻る