No25502-4 黒田城 (くろだじょう)       

黒田氏発祥地の碑 全景

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡木之本町黒田
築城年 : 鎌倉期
形  式 : 平城(居舘) 
遺  構 : なし
訪城日 : 平成22年5月4日

歴   史
筑前・福岡52万石黒田家の藩祖は、当地の御廟に祀られている近江源氏・佐々木氏の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)であり、この近江国伊香郡(木之本町)黒田村に住み、湖北の荘園の領主として黒田判官と称した。
黒田村の中央の小字・構と称するこの一町角が往年の構屋敷、即ち黒田判官の屋敷跡である。黒田判官・宗清(弘安元年(1278)〜延文2年(1357)法名・道法)より数えて6代目・高政の時代、舟岡山の戦い(永正8年)の後、備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間。黒田氏は6代にわたりこの地に居を構えていた。
この構屋敷から西へ1km程離れた余呉川対岸の山麓、小字名を穂先谷(現在の保崎谷)の観音寺にかけては穂先長者とも伝えられる源宗清が寄進したといわれる鎧の草摺があった。
更に、それより南1.7km程離れた田井(現在の田居)の寿徳寺(黒田村より移築された現在の樹徳寺)には、黒田氏歴代の墓石と黒田官兵衛孝高如水の肖像画の掛け軸があるようだ。

構造と感想
現在は集落の集会所の敷地となっており、遺構は残っていない。黒田氏発祥地の碑があるのみである。

道 案 内
国道8号も木之本IC口交差点から北に国道365号を800m程行った点滅信号を右折し、東に380m程行った左側に黒田集会所があり、そこが館跡で駐車もできる。

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