No25463-05 鎌刃城 (かまはじょう)       

北郭の枡形虎口 現地の縄張図

城郭の概要
主郭の枡形虎口
別  名 :
所在地 : 坂田郡米原町番場
築城年 : 戦国期
形  式 : 山城(384m)
遺  構 : 石垣、石塁、虎口、堀切、土塁、畝状空堀、
訪城日 : 平成21年12月12日    

歴   史
<南尾根の大堀切の石垣>

 西尾根     北尾根

南尾根      <建物の復元模型>            
番場は東山道(中山道)の要衝に位置しており、鎌倉時代には西遷御家人土肥氏が番場を含む箕浦荘の地頭に補任されていた。土肥氏は番場に居館を構え、その跡は現在「殿屋敷」と呼ばれている。鎌刃城の築城については、その土肥氏によるものと伝わっているが定かでない。
戦国時代になると番場の領主は土肥氏から堀氏に代わり、「今井軍記」に文明4年(1472)に今井秀遠が堀次郎左衛門尉の立て籠もる鎌刃城を攻めたとの記述があり、この頃には堀氏の城として機能していたようである。
天文7年(1538)には六角定頼が江北に侵攻し、鎌刃城、太尾山城磯山城佐和山城が落城している。「嶋記録」に当時の鎌刃城主・堀石見は京極高広方に属していたとあり、当時の坂田郡南部は六角氏と浅井氏の抗争に加え、江北の守護京極氏政権も維持されていたと云われ、複雑に勢力が錯綜した地域であったようである。
元亀元年(1570)、浅井長政が織田信長に反旗をひるがえすと、鎌刃城主堀秀村は木下藤吉郎の説得によって織田方に降り、長政は堀氏に代えて百々越前守を鎌刃城に入れたが、姉川合戦後は再び信長が堀氏を鎌刃城に入れ、江北支配を堀氏に任せたと云われている。
鎌刃城は単なる境目の城というだけでなく、戦国武将・堀氏の居城として江北支配の拠点となった城である。
しかし、天正2年(1574)に堀氏が改易され、翌年に城内の米穀二千俵が徳川家康に与えられた後は記録が見えなくなり、廃城になったと見られている。

構造と感想
鎌刃城は霊仙山系から西に突き出た標高384m、比高180mの尾根上に築かれた山城で、東西370m、南北400mの規模を誇り、江北では小谷城に次ぐ大きさである。西山麓の中山道や周辺の佐和山城、菖蒲嶽城、太尾山城などを見下ろし、さらに湖東・湖北への眺望が利く要衝の地に位置している。
城の北、東、西は急斜面となっており、南方のみが高所へと続く尾根のため、200m間に鋸歯の如く7条もの堀切を設け、厳重な遮断を施している。その尾根は急峻にそそり立ち、まさに鎌の刃を思わせる景観である。
尾根が北と西の二筋に分かれる最高所に主郭を置き、その南に堀切で区分された二つの副郭を設け、城の中心としている。近年の発掘調査から主郭は周囲を石垣で固め、南半分を囲う土塁は内外面とも石積みで構築された石塁で、多聞櫓状建物の存在が想定されている。北の凹地は石垣・石段・門で固められた内枡形虎口で、主郭内部には礎石建ての居住用建物が存在したと考えられている。
主郭より北に延びる尾根上には7段の削平地が設けられ、先端部は三重の堀切で防御を固め、堀切の上段の馬蹄形に土塁で囲まれ郭は半地下式の礎石建物(14m×15mの大櫓)が発見され、その東側には石垣で固めた通路や門跡が見つかっている。一段上の郭には主郭と同じ石垣造りの内枡形虎口が検出されている。同郭の西側斜面下方には、高さ3m×長さ40mの大石垣が認められる。
西尾根は主郭部南端の副郭から急激に落ち込み、その先に7段の削平地が階段状に設けられているが、石垣は認められない。西尾根の先端部は二重の堀切と南西斜面に近江では珍しい畝状空堀群が設けられている。
なお、城跡南東にある清竜滝付近には水の手と伝えられる岩盤をくり抜いて作られた石樋が現存している。
このように発掘調査の結果、建物は礎石建ちで、主要部を石垣で固めた石造りの城に近い城郭であることが判明し、16世紀後半としては先進的な築城技術が駆使され、在地領主の詰城ではなく、境目の城として純軍事的な城砦として整備された織豊系城郭とは異なる戦国期城郭の到達点にあるとされている。
地元では城まつりの開催や樹木の伐採・草刈など熱心に活動されており、案内板や発掘成果の説明板も各所に設けられ、発掘された石垣造りの虎口や石垣、背後を遮断する幾重もの堀切など見事な遺構に素晴らしい眺望が楽しめる城跡である。
   
<主郭の南方向>         <副郭Uの南方向>

道 案 内            
大石垣
国道21号の米原IC口交差点を西に240m程行った樋口西交差点で左折し県道240号線に入る。南に1.3km程行った番場交差点で左折、南に600m程進むと左側に大きな鎌刃城の案内板が出ている。案内板にある滝谷林道(集落の南端に登り口)を3km程登っていくと他の林道へ合流する。その合流点で左折し300m程進むと大きなU字カーブがあり、その左手の北西方向の尾根を200m程降っていくと主郭部に至る。
                        

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平成27年6月7日鎌刃城まつりで再訪時の写真
 
鎌刃尾根の堀切            鎌刃尾根
 
主郭の北虎口        主郭北虎口前の石垣
 
北X郭の東虎口        北X郭西下の大石垣
 
主郭北虎口下方の石垣       主郭北東面の石垣
 
主郭北東面の石垣        主郭東虎口の石段