城は、標高254mの山頂にあり、北城と南城から構成される「別城一郭」と呼ばれる構造である。江北と江南の「境目の城」である磯山城や菖蒲嶽城にも同じ構造が見られる。
南城は、中央部の小さな山頂の主郭、その北に東側と北側に土塁が廻る副郭、一段下がって虎口を持つ腰郭が置かれ、その腰郭から北と東に伸びる尾根に堀切を設けて遮断している。主郭の南は一段下がって削平のやや不完全な郭が設けられ、その南端に土壇がある。その先の西尾根は落差を持った堀切により遮断されている。
北城は、北側と東側の一部に土塁を持つ主郭を中心に、北の下方に土塁囲いの郭を置き防御を固めている。主郭から東へ伸びる尾根筋は堀切と腰郭で遮断されている。主郭の南は腰郭、その下方に堀切を置き、更に連郭式に三段の郭が続き、二段目と三段目間に堀切が設けられている。
両城の間は、自然地形のまま残されている。
北城主郭からの眺望は素晴らしく、湖北・湖西への展望が開けるとともに、近隣の鎌刃城、佐和山城などの境目の城を望むことができ、また眼下に東山道や北国街道が通過し、要衝の地であることを体感できる。
近年の発掘調査では、北城・南城の主郭とその北の土塁囲いの郭で礎石建物跡が検出され、出土遺物からも恒常的な施設や生活が営まれていたとされる。また、門や櫓の存在を裏付ける記録も残り、領地防衛の重要拠点であったことが窺える。
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