No25363−38 No25363−39
平野城 伊佐野城
(ひらのじょう) (いさのじょう)

平野城 北面土塁 伊佐野城 T郭の土塁と郭内

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町和野字東岨 所在地 : 水口町和野字石原、神ノ木、西沢
築城年 : 築城年 :
形  式 : 平城(館城) 形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、空堀、 遺  構 : 土塁、空堀、虎口、土橋
訪城日 : 平成23年11月12日 訪城日 : 平成23年11月12日

歴   史

・・・・平野城・・・・の城歴等の詳細は不明である。
・・・・伊佐野城・・・・の城歴等の詳細は不明であるが、城主は伊佐野氏で、佐治城主佐治氏を盟主とした佐治同名中の構成員であったことが知られている。 


構造と感想

・・・・平野城・・・・は、水口町東部の野洲川南岸に営まれる和野地区のうち平野集落の北側に位置する単郭の平地城館である。現在の城内跡には意頼寺が建立されているが、この寺を囲むように高さ2mの土塁が南を除く三方に残っている。土塁の周囲は圃場整備が行われており、堀の大半は失われているが、東側に痕跡を確認できる。
これらの残存する遺構から郭面で50m四方、空堀を含めると75m四方の規模の館城と推定されている。
平野城は、甲賀郡内では数少ない現存する平地城館遺構で、甲賀の典型的な縄張の一つである。
・・・・伊佐野城・・・・は、水口町和野地区の伊佐野集落の北側、野洲川南岸の河岸段丘上に所在している。南側の集落との比高差はないが、北側は野洲川の河岸段丘で急崖となっている。
城の構造は、河岸段丘上の東西200m、南北150mの範囲に土塁と堀によって隔てられた方形区画が群存する群郭形式である。八幡神社の西側に九区画が連旦し、規模は50m四方から80m四方と一様でなく、土塁の規模にも格差が見られ、群郭式でありながら、その内部では格差があったと指摘されている。
甲賀郡では単郭を中心とする単純な城が多い中で、伊佐野城は集落に隣接した広範囲に及ぶ群郭構造をしおり、集落との関係を考察するうえで貴重な遺構である。
現在、城域の東半分は畑や住宅で利用されており観察が容易であるが、西側は雑木林に覆われており立ち入るのは難しい。 


道 案 内
・・・・平野城・・・・は、国道1号の水口町今郷のランプで県道126号線に下り、南進方向に曲る。県道126号線を南に道なりに1km程行くと県道126号線は右に折れるが、そこを直進し県道538号線に入る。県道538号線を東に480m程行った左手が意頼寺で城跡である。
・・・・伊佐野城・・・・は、国道1号の水口町今郷のランプで県道126号線に下り、南進方向に曲る。県道126号線を南に道なりに1km程行くと県道126号線は右に折れるが、そこを直進し県道538号線に入る。県道538号線を東に1.3km程行った集落内の十字路で左折する。北にやや下りながら160m程行った右手が城域の中央付近である。ここから東の部分が観察しやすい。

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平野城 南より 伊佐野城 T郭の堀と土橋
伊佐野城 X郭の北東隅の土塁