No25502-2 賤ヶ岳砦 (しずがたけとりで)       

余呉湖と神明山・堂木山砦を望む 西郭の土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡木之本町大音、川並、余呉町川並、
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高(421.9m) 
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成23年4月3日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際に、羽柴秀吉軍の但馬竹田城主の桑山修理重晴が砦を築き、羽田長門守正親、浅野弥兵衛らとともに守備した。
羽柴軍陣城にあって田上山砦とともに中心的な役割を持っていた砦である。
柴田勝家軍の佐久間盛政による4月20日の中入り攻撃により、同じ尾根筋にあった大岩山砦の中川清秀が討ち死にし、岩崎山砦の高山右近が木之本の本陣に退却し、両砦は柴田軍に占拠された。
賤ヶ岳砦の桑山重晴も退こうとしたが、丹羽長秀の救援を得て盛政軍と対峙を続け、その日の夜半驚異的な早さで岐阜出陣から戻った羽柴軍主力が、翌朝から盛政軍を追撃し柴田軍を壊滅させた。

構造と感想
山頂部に三つの郭があり、中央の郭が主郭で、西側は分厚い土塁を設けて、西郭を区画している。
西郭は、四方に土塁が廻る郭で、土塁も分厚く、裾の切岸も明瞭である。主郭と直接に連絡する虎口はなく、側面の帯郭に出て、主郭に連絡していたと考えられる。
主郭の東にも郭があったが、現状は主郭とほぼ地続きになっている。その地続きの中央付近に堀切端部と竪堀が残っており、主郭と東郭は堀切で隔てられていたと思われる。
東郭の東端には、高低差のある外枡形状虎口、虎口の脇に竪堀が数条伸ばされ、通路から斜面や犬走りへ回り込むことを防いでいる。
山頂から三方に伸びる尾根には堀切が設けられ、特に北西尾根の堀切は明瞭である。北東尾根と南西尾根の堀切は、通路を見下ろせる位置にあり、塹壕の機能が強かったと考えられている。
この賤ヶ岳は、観光地だけあって眺望が素晴らしい。しかし、よく観察すると城郭遺構も相当残っており、二度美味しい城跡だ。

道 案 内 堀切・竪堀の痕跡
国道8号の木之本IC口交差点から西(敦賀方面)に1.5km程行った賤ヶ岳トンネルの50m程手前で右折し、150m程を北進したT字路で左折する。西に50m程行ったY字路を右に入り、道なりに150m程進むとリフト乗り場の駐車場に至る。
駐車場東側の川沿いの細い道を登るとリフト乗り場に出る。リフトに乗り10分程で山上へ。リフトを下車し徒歩15分程で山頂の砦跡に到着する。
リフトを利用せず徒歩で登ることもできる。リフト乗り場から35分程登ると山上のリフト乗り場である。

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