No25503-16 岩崎山砦 (いわさきやまとりで)       

主郭南側の土塁 現地の縄張図

城郭の概要
主郭虎口
別  名 :
所在地 : 伊香郡余呉町下余呉・江土
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高209.4m) 
遺  構 : 土塁、櫓台、竪堀、横堀(身隠し)       
訪城日 : 平成22年5月4日

歴   史
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦に際して、3月19日未明から羽柴秀吉が味方の要害普請を巡見し、その日の内に大岩山と岩崎山の二ヶ所に要害を構えるよう指示を出した。岩崎山には摂津高槻城主の高山重友(右近)が、大岩山には摂津茨木城主の中川瀬兵衛尉清秀が砦を築き布陣することになった。
秀吉軍本隊の岐阜への出陣中の4月20日、行市山砦の佐久間盛政は夜半の暗闇に紛れて行市山砦を出発、別所山に出、集福寺峠を駆け下り、祝山から権現坂を越えて余呉湖畔に出た。湖畔の西岸から東岸を巡り尾野呂浜から中川清秀が守備する大岩山砦を奇襲。陣砦の構築開始から日が浅く防備が整っていなかった大岩山砦は、賤ヶ岳や岩崎山からの援軍も得られず、敢えなく陥落した。
高山右近は、大岩山砦が落ちたと知ると岩崎山砦を捨て、木之本の秀吉本陣を預かる羽柴秀長の下に逃避した。

構造と感想
W字型をした砦で、中央部に土塁で囲まれた主郭が設けられ、その内部は土塁と高低差により二区分されている。北東角の方形土壇は櫓台で、西側と南東角に虎口が設けてある。主郭の北は雛壇状の削平地が続き先端に竪堀が入っている。
主郭から東はブッシュで観察不能の状況である。南西尾根には、削平地、帯郭、土壇があるようだが、一部の観察しか出来ない。西尾根の北端には、削平地、帯郭または犬走り、先端部に土塁と横堀による身隠し、竪堀が残っている。
以前に訪れた時は何の標識もなく通り過ぎてしまったが、平成22年5月4日に訪れた際には、主郭あたりのブッシュも刈り取られ、また縄張図付きの説明板も設置されていて、遺構の半分近くを観察でき、ラッキーであった。

道 案 内
北郭の竪堀
国道8号の木之本IC口交差点から北に国道365号を3.8km程行った余呉湖口交差点で左折し、西に320m行った先で鋭角に左折する。東に50m程で乎弥神社(おみじんじゃ)があり、その辺りに駐車し、神社の左裏手の谷筋を5分程登り尾根に出た所が砦跡である。
                          

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