No25502-1 田上山城 (たがみやまじょう)       

南郭の横矢掛かり 主郭北虎口の土橋

城郭の概要
別  名 : 田神山砦、木之本城
所在地 : 伊香郡木之本町木之本・黒田
築城年 : 天正11年(1583)
形  式 : 山城(標高323m) 
遺  構 : 堀切、横堀、土塁、外枡形
訪城日 : 平成22年5月4日

歴   史
元亀4年(1573)浅井氏を来援に来た朝倉義景が本陣を置いたとされる。
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際には、羽柴秀吉の弟・但馬出石城主の羽柴秀長が城を築き布陣した。
その着工は、賤ヶ岳砦とともに3月12日で、羽柴秀長が15,000人の軍勢を率いてこの城に入ったと云われ、秀吉軍の実質上の本陣であった。
4月20日明け方に柴田勝家軍の佐久間盛政の中入り奇襲攻撃を受けて大岩山砦が陥落したと知った秀吉は、その夜に大垣から駆け戻り木之本地蔵に陣取った。そして当地の美濃部勘右衛門に住民を集めさせ、田上山に登り鯨波をあげさせ味方の気勢を高めた。秀吉は、勘右衛門の案内で山を西に下り、賤ヶ岳北方の大岩山砦を占拠する佐久間盛政軍に対し追撃を行ったとされる。
盛政軍はあまりに早い秀吉の帰陣に驚き退却を始め、これを見て勝家軍の前田利家、不破勝光、金森長近らが戦線を離脱、背後に秀吉軍の急追を受けた盛政軍は潰走することとなった。

構造と感想 現地の縄張図
山頂の主郭を中心にY字型の尾根上に三つの郭を付属させている。主郭は北・東・南の三方に土塁を回した不整四角形で、北郭と西郭に通じる虎口を設けている。
北郭への虎口には、堀切と土橋を設け明確に区画している。
北郭は土塁を回し、北側に外枡形を伴う虎口を構えている。さらに北100m先に土塁、中央に食い違い虎口、虎口外にL字型土塁、西に土塁の張り出しを設け厳重に守備している。ここまでは城域で駐屯地と考えられている。
主郭の南西側虎口を出ると20mの下り坂、その先が西郭で四囲を土塁が巡り、東側を竪堀、西側を二重堀切で区画している。内部は西にやや傾斜している。西端の虎口は土橋脇の横堀と土塁がコ字型に折れ、虎口を守る小さな陣地となっている。
南東郭は主郭に対し一段低く、南西側の犬走りを通じ主郭と連絡している。主郭側を除く三方に土塁が回り、南東と北東側には空堀も認められる。
賤ヶ岳合戦の陣砦にあって玄蕃尾城は別格としても、田上山城は東野山砦と並んで複雑で堅固な造りの城となっている。遺構の遺存度も良好であり、冬場であれば相当な範囲の遺構を観察することが出来る。
私の訪れたのは5月で草木が勢いを増していたが、主郭から南の遺構をおおむね観察することが出来た。守りの堅い虎口は、この砦の見どころである。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から東に960m程行った木之本地蔵(浄信寺)前で右折し、南に25m程行ったT字路を左折する(木之本地蔵の横は狭い道です)。そこから東に350m程行った十字路(左手に木之本幼稚園)を左折し、北に230m程行き、伊香高校前を越えた付近で左折して林道に入る。その林道を終点まで750m程登って行くと駐車場に出る。そこから山道を徒歩15分程登ると城跡に至る。

TOPへ 戻る