No25526−04 井ノ口館 (いのくちやかた)       

北端部空堀の土橋 北端部の空堀

城郭の概要                  
別  名 : 本堂谷遺跡
所在地 : 新旭町井ノ口蓮池
築城年 :
形  式 : 館
遺  構 : 空堀、土橋、土塁、
訪城日 : 平成24年12月8日

歴   史
 井戸跡
井ノ口館の築城時期は定かではないが、遺跡内に「ジョウロウグチ」や「エンショウグラ」の地名が残り、大宝寺の坊院跡を利用して、屋敷地としたようである。
遺跡南辺の道路沿いに佐々木氏が連れてきたとされる谷氏一族が居住していたとされ、保福寺本尊の釈迦如来坐像は、織田信長の焼き討ちに遭った際に大宝寺から谷氏が持ち出し、保福寺に安置したと云われ、仏像には焼けた痕跡が残り、「焼け残りの釈迦」との異称がある。このことから大宝寺は元亀4年(1573)の信長来襲まで存続していたと考えられている。
                  

構造と感想
井ノ口館(本堂谷遺跡)は、清水山城・屋敷地および御屋敷・犬馬場と西谷川を隔てて西側の大宝寺山丘陵の標高130mの中腹斜面上に位置し、西隣には佐々木高信が佐々木氏の氏神として勧請したと伝わる大荒比古神社が鎮座している。その範囲は、東西約350m、南北約200mで土塁と堀で囲まれた方形区画群が認められる。
本堂谷遺跡は遺構の東側が「大宝寺」の跡地と伝承されることや、清水山城主郭から南西にのびる谷は「城ノ谷」、城ノ谷と西谷川の接続部は「城の口」と呼ばれ、清水山城主郭と本堂谷遺跡を結ぶ登城路が想定され、本堂谷遺跡は清水山城の出城として機能するとともに、大宝寺との併存が指摘されている。
遺構は、中央部が宅地開発で破壊されているが、饗庭野台地方面に続く北側を二重の土塁と深い空堀によって厳重に防御し、その南側の西部と東部に土塁と堀によって区画された多数の郭が残っている。また、各郭には井戸が認められる。
西部地域の遺構が良好に残っており、城館跡として見応え充分である。

道 案 内

西側の神社と区切る土塁と谷筋
国道161号高島バイパスの北畑交差点で西に曲り、県道36号線に入る。1.5km程先の安井川交差点を直進し、県道293号線に進む。安井川交差点から820m程西に行くと左に緩くカーブする所にY字路があり、右手の旧道に入る。旧道を道なりに380m西進し、集落はずれのT字路で右折する。北に380m程行った突き当たりが大荒比古神社で、大荒比古神社の社殿がある付近の右手側(東方向)へ行くと説明板があり、そこで沢を渡ると井ノ口館跡である。

      

TOPへ 戻る