No25403-06 佐生城 (さそうじょう)       

南西部の石垣 南面石垣の横矢掛り

城郭の概要
別  名 : 佐野山城
所在地 : 神崎郡能登川町佐生、五個荘町日吉
築城年 : 戦国時代
形  式 : 山城(標高158m) 
遺  構 : 石垣、堀切、
訪城日 : 平成22年1月31日

歴   史 西面の石垣

佐生城の築城年代は定かではないが、城主は佐々木六角氏の重臣で旧八日市市中羽田町に居館を構えていた後藤氏とされる。城跡に建てられた石碑に「後藤但馬守城址」とあり、戦国時代は但馬守が城主であった。
後藤氏は、進藤氏とともに「佐々木の双藤」と呼ばれた重臣であったが、六角氏の家督を継ぎ日が浅い義治(義弼)への後藤賢豊による諫言に対し反発した義治は、永禄6年(1563)観音寺城内で賢豊と嫡男・又三郎を誅殺した。これに対し六角家臣団は観音寺城内の屋敷を焼き払い、六角氏を離反する観音寺騒動へと発展した。この騒動により六角氏は勢力を大きく減退させ、永禄11年(1568)の織田信長による近江侵攻に抗することができず没落した。


構造と感想 後藤但馬守城址石碑と土塁
佐生城は、六角氏の居城・観音寺城が構えられた繖山から北に伸びる尾根先端の佐生山に築かれた小さな山城である。
単郭式構造の縄張りで、主郭は南北約60m、東西約40mの三角形を呈しており、周囲は高さ0.5〜1.5m、基底部の幅3〜5mの土塁で囲まれている。そして、南面から東面には高さが1.8〜3.6mもある巨石を用いた石垣が築かれており、その壮大さに驚嘆させられる。さらに南西隅の台形状に張り出した櫓台(幅7.5〜14m、奥行9m)では、4m程の算木積みされた見事な隅石垣を見ることも出来る。
しかし、繖山に通じる尾根筋には特段の防御構造は設けられておらず、観音寺城の石垣に類似した石垣を持つことから佐生城は観音寺城の重要な出城と考えられている。

道 案 内
国道8号を彦根方面から来て愛知川を渡った直ぐの簗瀬交差点を右折し県道52号線に入る。西に2.2km程道なりに進みT字路を左折する。県道207号線に入り南に140m程進み橋を渡った所で駐車する。瓜生川下流側の墓地より登り道がある。山道を20分程登れば城跡である。
背後からの訪城は、簗瀬交差点を右折し県道52号線に入り、西に3.4km程道なりに進み、垣見交差点で左折する。南に640m程行った能登川高校前で左折する。東に130m程行って右手の坂道を道なりに670m程登った岩屋十一面観音下の駐車場に車を止める。そこから東奥の山道を道なりに下って行くと15分程で城跡に着く。
楽な方は、岩屋十一面観音からの訪城である。

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