No25363−30 No25363−31
奥谷城 三大寺竹中城
(おくたにじょう) (さんだいじたけなかじょう)

奥谷城 堀切 三大寺竹中城 頂部西方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町三大寺字川合谷・平林  所在地 : 水口町三大寺字初明
築城年 : 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀切、虎口 遺  構 : 堀切、
訪城日 : 平成23年11月3日 訪城日 : 平成25年3月30日

歴   史
・・・・奥谷城・・・・の城歴等の詳細は不明である。
・・・・三大寺竹中城・・・・の城歴等の詳細は不明である。

構造と感想
・・・・奥谷城・・・・は、飯道山をピークとする山塊より東山麓に所在する三大寺集落に向け北東に伸びる舌状尾根の先端に築かれている。構造は、東西約22m、南北約40mの郭を土塁が囲繞し、その北東下方に二段の小規模な郭を配置する。尾根続きの背後は、巾約15m、深さ約5mの堀切で遮断されるが、その東側半分は開墾により破壊されている。堀切を越えた南西側にも削平の不十分な段差を伴った平坦地が続くが、開墾や掘削などの撹乱を受けており城域であったかは不明である。
郭内の南西隅に水溜めの窪みが残る。南東隅に開く虎口が大手と思われ、南側の土塁が虎口より東に張出し、一旦東向きに出て南に直角に折れ、さらに東に折れて尾根を下る城道となっている。また、東側の土塁を外方に湾曲させてもいる。これらは虎口への横矢掛けを意図したものと思われる。もう一つ北東隅に開く平入り虎口は、北東下方の郭へと通じる。
この城は、単郭方形で土塁は分厚く高く、巨大な堀切で背後を遮断する甲賀の一般的な城に属するものである。主要部の遺構は良く残っており、見応えのある城である。
・・・・三大寺竹中城・・・・は、飯道山をピークとする山塊の東山麓に所在する三大寺集落の南方にあり、山塊から東に伸びる舌状尾根の先端に築かれている。東西を堀切で区画された東西40m、南北13mの頂部は三段の平坦地になっている。土塁はなく南北面は急峻な切岸で防御されている。しかし、頂部は畑地に開墾されたり、南東下方には神社が建立されたりと改変が激しく、また、先端部の堀切は切岸が新しく、後世に開削された道と見られ、旧態を留めないため、城郭遺構なのか疑念が持たれている。
なお、現在も耕作等で人の手が入っており、地形確認は容易であった。

道 案 内
・・・・奥谷城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。南西に2.5km程行った庚申口交差点で右折し県道4号線に入る。県道4号線を480m程走ると三大寺北交差点で、そこを左折する。北西に1.3km程行ったT字路で左折し、広域農道に入る。広域農道を南に1.3km程行ったT字路で左折する。東に230m入った左手の農道奥の尾根上が城跡である。
・・・・三大寺竹中城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。南西に2.5km程行った庚申口交差点で右折し県道4号線に入る。県道4号線を210m程北西に行った信号交差点で左折する。南西に420m程行き左・右にクランク状に曲り、その先75mでT字路を右折する。西に250m程行った左手の丘陵上が城跡である。

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奥谷城 南東隅の虎口 三大寺竹中城 背後の堀切
奥谷城 郭内の西方向  三大寺竹中城 北面の切岸