No25501-2 雨森城 (あめのもりじょう)       

表(西側)の土塁 南東角の土塁上の芳洲神社

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡高月町雨森
築城年 : 室町期
形  式 : 平城(居舘) 
遺  構 : 土塁、
訪城日 : 平成22年2月11日

歴   史
東側の土塁
雨森氏は、湖北四家(磯野氏、赤尾氏、井口氏、雨森氏)として知られ、雨森弥兵衛、次右衛門、藤六、主計らの名が記録に見え、戦国期には浅井氏に仕えていた。
治兵衛尉清貞は、赤尾清綱、海北綱親とともに武勇を誇り「浅井三将」と称され、浅井氏の重臣で家中において相応の地位にあったとされる。
しかし、織田信長の攻撃によって、小谷城落城、浅井氏が滅亡すると雨森氏も没落した。

構造と感想
雨森集落の東側にある雨森芳洲庵(東アジア交流ハウス)が方形単郭の土塁と堀囲みの「本屋敷」で、その周辺に多数の方形区画が群在する群郭式・同名中式平地城館である。本屋敷は、東西の南角に虎口を開き、四囲を土塁が廻っていた。現在も東側と西側に高さのある土塁が残されている。
南東角の土塁上には芳洲神社が建立されているが、芳洲は当地の出身で元禄元年(1688)木下順庵の推挙をえて対馬藩に仕え、朝鮮支配役の補佐役をつとめた人物である。
「雨森芳洲庵」において、国際人の先覚者としての雨森芳洲の遺徳と業績にふれることができる。
雨森集落は、町おこしに熱心な地域で道路や水路の環境整備が実施され、水路には錦鯉が悠然と泳ぐ大変綺麗なところである。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から東に540m程行った木之本交差点を右折し、南に1km行った千田北交差点を右折する。ループ状の高架を登り国道303号に入り、東に900m程行った田部東交差点を右折し、国道365号へ入る。南に2.3km程行った柏原交差点を左折し、北に400m程行った十字路(雨森芳洲庵の案内板あり。)を右折する。東に360m行ったT字路を左折し、北に300m程行って左折する。西に70m程行くと駐車できる。小川沿いを北に120m程歩くと右手が舘跡である。

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