No25301−04 ダンダ坊遺跡 (だんだぼういせき)       

館跡の桝形虎口 館跡の庭園

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 志賀町北比良
築城年 : 平安時代
形  式 : 寺院城郭
遺  構 : 桝形虎口、庭園遺構、土塁、堀、
訪城日 : 平成26年5月26日

歴   史
本坊跡の石垣
比良連峰は、平安時代中期以降、天台宗の勢力拡大と伴に、天台僧の修業の場となり、多くの寺院が山中に営まれた。江戸時代には、この様子を「比叡山三千坊、比良山七百坊」と称された。
ダンダ坊もそうした寺院の一つで、横川恵心院の別院として平安時代に始まり、元亀3年(1572)に織田信長との抗争で延暦寺とともに破壊され、焼滅したと考えられている。
             

構造と感想
ダンダ坊遺跡は、比良川が支流を集める「いんだにはし」と「出会橋」の北側に巾約150m、奥行約550mの範囲に広がる比良山中最大の寺院遺跡である。遺跡は大きく寺院跡、坊跡、館跡などの四つのブロックに分かれ、特に寺院跡と館跡の遺構が明瞭に残っている。
寺院遺構は、北から南に張出す尾根の先端に位置している。尾崎を削平した広い敷地に石垣で築かれた参道、階段、山門、本坊、開山堂、池、礎石などの遺構が明瞭に残っている。尾根の東側の谷筋には、下から坊跡が並び、谷筋の一番奥に館跡があり、前面を石垣で区画し、右手背後は築山を兼ねた土塁と堀で遮断している。一番の見所は、正面の左端に開口する石垣で築かれた桝形虎口である。直角に折れた石垣が見事である。屋敷の北奥には、築山を築き、中心に三尊石を置き、この裾から滝が落ち、築山裾の池へと流れる。伊吹町上平寺に残る京極氏館の庭園と同じ様な造りで、武家儀礼のための庭園と思われているが、なぜ山岳寺院に造られたのか解明されていない。
車を横付けでき、山道もなだらかで、訪れ易く、これから注目が集まる遺跡に思える。

道 案 内
湖西道路および志賀バイパスの比良ランプを下りた県道322号との交差点を山側の西方向に曲り、県道322号を750m程山に向かい登って行くと「いんだにはし」に至る。付近に駐車可。バス停の西側(基礎の残骸が残る)宅地の北西隅から山道に入ると直ぐに遺構となる。一本道で途中に本坊跡への案内板が建てられている。館跡へは、案内板の所を直進し山裾を行き止まりまで行く。

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