No25462-4 | 上平寺舘 | (じょうへいじやかた) |
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御館址 | 舘と・詰の城の絵図 |
◆ 城郭の概要 | ![]() |
別 名 : | |
所在地 : 坂田郡伊吹町上平寺 | |
築城年 : 永正2年(1505)頃 | |
形 式 : 平城(守護所) | |
遺 構 : 屋敷地、土塁、堀、庭園、石積み、墓 | |
訪城日 : 平成23年3月6日 |
◆ 歴 史 | ![]() 御館の庭園跡 |
永正2年(1505)頃、永く続いた京極政経・材宗との一族内の抗争を日光寺の講和で納めた京極高清が、これまでの本拠であった太平寺から上平寺に移り、山岳寺院の上平寺を改修して守護館である京極氏舘を築いた。 しかし、大永3年(1523)京極氏に内紛があり、浅見氏や浅井氏らの家臣団によるクーデターが起こり、京極氏舘は焼失、以後、京極氏に代わって浅井氏が台頭し、江北支配を確立していった。 現在、上平寺城、弥高寺跡とともに国史跡に指定されている。 |
◆ 構造と感想 | ![]() |
伊吹神社の境内一帯が京極氏舘跡である。全体の規模は東西約170m、南北約250mである。伊吹神社の石柱を入ると右手に薬師堂がある。元は一番上手の伊吹神社の隣にあったが、明治の神仏分離でこの地に移された。薬師堂の上段は弾正屋敷(大津屋敷)でその向かいが隠岐屋敷となる。いずれも京極氏一族の屋敷跡と推定され、隠岐屋敷には道に沿ってL字の土塁が廻る。さらに、蔵屋敷などの広大な屋敷跡が続き、道の突き当たり、鳥居の右側下方が京極氏の舘跡である。舘跡は、奥行き約54m、幅約35mの規模で奥に庭園跡がある。この庭園は、池泉観賞式の庭園で、背後の河戸川の四季を借景にして愛でたと思われる。また、上平寺は高清の菩提寺で伊吹神社の脇に京極氏一族の墓所がある。現在、徳源院にある高清の宝篋印塔はここにあったようである。 |
◆ 道 案 内 | ![]() 蔵屋敷の石積み |
県道37号線の長浜IC口交差点を東に3.6km程行った東上坂交差点で右折する。国道365号に入り南東に3.7km程行った野一色東交差点で左折し、県道40号線に入る。北東に1.5km程行き「道の駅・伊吹の里」の交差点で右折する。広域農道に入り南東に4.8km程行き信号機のある交差点を越えて60m行ったバス停のある十字路(小さな案内板があり)で左折する。集落内を北に230m程行った集会所前にで駐車する。後は徒歩で奥に向かって直ぐの内堀跡を越えると舘跡に入る。 |
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