No25462-3 上平寺城 (じょうへいじじょう)       

主郭背後の堀切と土橋 主郭内北方向

城郭の概要
別  名 : 桐ケ城、苅安尾城、霧ケ城、
所在地 : 坂田郡伊吹町弥高・藤川・上平寺
築城年 : 永正2年(1505)頃
形  式 : 山城(標高669m)
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀群、枡形虎口
訪城日 : 平成23年3月6日

歴   史    主郭北東側の土塁

京極高清が政経・材宗との抗争に終止符を打った永正2年(1505)頃に太平寺から本拠を移し、この上平寺に京極氏舘を構えたとき、詰の城として築いたのが上平寺城である。
大永3年(1523)京極氏に内紛があり、家臣団によるクーデターで京極氏舘は焼失し、京極氏に代わり江北支配を確立していった浅井氏の支城となり、江濃国境の境目の城として機能するようになる。
元亀元年(1570)美濃から侵攻してくる信長に備えて、朝倉氏の支援を受けて浅井長政が長比城とともに本城の改修を行った。
しかし、城将の堀秀村と家老の樋口直房が信長に内応したことにより、戦わずして開城してしまい、以後廃城となったと考えられている。


構造と感想  外枡形遺構
本城は、伊吹山より南に派生する刈安尾と呼ばれる尾根の先端に位置している。
山頂に主郭を置き、背後は鋭い堀切で区画し、主郭の南に下りながらV、W、Y、Zの郭を配している。郭間には、堀切や竪堀が設けられ、主郭やV・W郭の周囲には土塁も廻らされている。特にW郭の土塁は高くて分厚い。
南からW郭虎口に至るには、堀切の土橋を渡り、外枡形空間を通過しなければならず、W郭の土塁から横矢がかかるとともに、正面の土塁からの攻撃にもさらされる。しかも西側にも土塁があるため、敵は縦列でしか進めない。
その下方に当城最大の郭・Z郭があり、駐屯地と考えられている。駐屯地の下方の当城の南端斜面には、放射状に竪堀群が配され、尾根の先端防御をしっかりと行っている。
本城の殆どの防御施設が対信長戦に備えて浅井・朝倉氏によって改修・築造されたものと思われる。
3月下旬で雪も少なくなっているかと思い登ってみたが、城跡付近は雪に覆われており、国指定史跡の遺構を堪能できず残念であった。

道 案 内
県道37号線の長浜IC口交差点を東に3.6km程行った東上坂交差点で右折する。国道365号に入り南東に3.7km程行った野一色東交差点で左折し、県道40号線に入る。北東に1.5km程行き「伊吹の里」の交差点で右折する。広域農道に入り南東に4.8km程行き信号機のある交差点を越えて60m行った十字路で左折する。集落内を北に230m程行った集会所前にで駐車する。後は徒歩で奥に向かって道なりに250m程行くと伊吹神社に至る。鳥居左手の案内板から山道を50分程登ると城跡である。

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平成27年10月24日の山城サミットin米原で訪城

 
本丸背後の堀切と土橋            本丸の南方向

 
二の丸の外枡形虎口

 二の丸の外枡形への土橋と堀切         二の丸北側の竪堀