No25461-05 長比城 (たけくらべじょう)       

主郭東の横堀 主郭の北東虎口外より

城郭の概要
副郭内部
別  名 : 野瀬山城
所在地 : 坂田郡山東町柏原・長久寺、岐阜県関ヶ原町
築城年 : 元亀元年(1570)
形  式 : 山城(標高391.2m) 
遺  構 : 土塁、虎口、櫓台、空堀、竪堀、  
訪城日 : 平成23年3月6日       

歴   史

副郭の東側土塁
長比城は、須川山砦、干畳敷遺構(田中城)、大峰砦等と共に、浅井氏の江濃国境(近江と美濃)防塞ラインの重要拠点である。
元亀元年(1570)4月、織田信長は上洛命令に従わない朝倉氏を越前に攻めたが、この時、妹婿の浅井長政が離反し、背後から信長を挟み撃ちにしたため、朽木元綱の道案内を得て、這々の体で越前敦賀から朽木谷を越えて京へ、京から鈴鹿山系の千種越えで岐阜に帰還し危機を脱した。これが世に云う「金ヶ崎の退き口」である。
岐阜に戻った信長は軍勢を整え、6月浅井討伐に向かった。これに対し、「浅井備前越前衆を呼び越し、たけくらべ・かりやす両所に要害を構え候」と信長公記にある。しかし、守将の堀秀村・樋口直房が信長の調略に乗り、戦うことなく呆気なく開城してしまった。

構造と感想
長比城は、中山道を押さえる要衝の地に構えられ、北国脇往還を扼する上平寺城(苅安尾城)とともに美濃口を押さえる重要な「境目の城」であった。
長比城は、東と西の二つの郭から成る、いわゆる「別城一郭」を呈している。西の郭(副郭)は、東西約30m、南北約20mで周囲に分厚い高い土塁が廻り、東側に喰違い虎口を配し防御を固めている。南西隅部には、数条の竪堀も設けてある。副郭の食違い虎口を出て、少し登ると山頂の主郭へと続き、副郭よりもひと回り大きい東西約50m、南北約30mの規模を有し、南側を除く三方に土塁が廻っている。特に東側の土塁は分厚く高い。そして内側沿いを凹地とし、両端部に喰違い虎口を設け、美濃側への守りを固くしている。
副郭の遺存度は、すこぶる良好で、遺構の鋭さは当時の姿そのままの様に思える。それに比べ主郭の東部を除いて、遺構の明瞭さや鋭さが欠けているのはどうしてなのか疑問が残る。副郭は、織田軍の占拠後に改築の手が入ったのではないだろうか。

道 案 内

(城址碑)
国道21号の米原IC口交差点から東・大垣方面に9.1km程行った柏原東交差点で左折し、北100m程先のJR踏切を渡り直ぐを右折する。東に110m程行った左手に神明神社の鳥居があり、その東隣りの道に左折し山に向かって170m程登る。途中の分岐は左手に進み、砂防ダムがある終点まで登ると左手に駐車場がある。
砂防ダムに向かって20m程行って、左手の尾根に上がる山道に入り、尾崎の秋葉神社に出て祠の裏手から尾根筋道を登る。山道は少し歩くと消えるが、最初は真っ直ぐに、中間あたりから右斜め方向に尾根筋道を約30分ほど登ると城址で副郭の南虎口に至る。
山道は、あまり明瞭でないので、目印を残し迷わないよう注意が必要である。

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