No25367−10 朝宮城山城 (あさみやしろやまじょう)       

北西より望む 主郭の虎口

城郭の概要                  
別  名 : 赤松城
所在地 : 信楽町下朝宮字間ヶ谷、田中ノ垣内、四郎太郎、高皿
築城年 : 戦国時代末期
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、畝状空堀、虎口
訪城日 : 平成

歴   史
『近江與地志略』は、赤松満祐が伊賀攻めの際にとどまったという説を記しており、赤松城とも呼ばれるが、遺構は戦国時代の特徴を示し、構造が大和国に見られることから、築城者を松永久秀方とする見解がある。
これは、松永方が大和と南山城を勢力下に置きつつ、永禄年間(1558〜70)には織田信長方として六角氏や湖南の一向一揆を牽制するため近江南部に侵攻しており、また、元亀年間(1570〜73)には甲賀・伊賀に逃れていた六角氏や多羅尾氏とともに反織田信長連合を形成し、甲賀方面での軍事行動を活発に行っていることからである。
北西端の堀切 南郭の南方向

構造と感想

朝宮城山城は、京都府と境界を接する信楽町下朝宮集落の南東、標高361mの通称「城山」の山頂に築かれている。
主郭は山頂にあって、北郭と南郭からなり、南北に細長い逆「く」の字状を呈している。西面の中央付近に郭面を掘り窪めて内枡形状の虎口を設け、この虎口を北郭と南郭が共用する形になっている。北郭は20m×45m程の規模で、郭内は小さな段差で二段になっている。南郭は北郭に比べ細長くなっている。この郭も小さな段差で二段になっており、南面に土塁と堀切を設け区画されている。東側と西側の南半分には畝状空堀が入れ、防備を固めている。
頂部から西にのびる支尾根には、西郭が設けられている。西郭は北郭とほぼ同規模で、東西側に堀切を穿ち、東面には土塁も築いている。北面のやや東寄りに郭面を方形に掘り窪めた枡形状の虎口が開口している。この虎口から主郭の虎口へは、北側に一段下がり連絡用の通路が設られており、各郭間に一体性を持たせている。
切岸に多数の畝状空堀や竪堀を入れる構造は、甲賀ではもちろん、近江でも見られない特殊な城郭である。


道 案 内
新名神高速道路を下りた信楽IC交差点を右折し、国道307号を南に向かう。道なりに6.5km程行った長野交差点を右手に曲がり、ここから国道307号を8.1km程道なりに進むと右手に右の写真の製茶工場があり、その対面側の個人建物の背後から山道を登ると城跡に至る。

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