No25343−02 木村館 (きむらやかた)       

長屋門 北側の土塁

城郭の概要                  
別  名 : 北村城
所在地 : 野洲郡野洲町北
築城年 : 戦国期
形  式 : 館城
遺  構 : 土塁、堀、門、
訪城日 : 平成22年9月20日

歴   史
戦国期の野洲において、永原氏と共に勢力を誇っていたのが木村氏である。
木村氏は、佐々木盛綱の三男木村三郎俊綱を祖とし、第12代伊予守重春まで蒲生郡豊浦(旧安土町)に居館を構えていたが、永正・大永・享禄・天文(1504〜)の乱世を生き抜いた第13代重興(天文13年(1544)没)の時に江辺荘北村に居館を移したとされる。
重興の代には、甲賀の山中氏や永原氏と姻戚関係があり、六角義賢の重臣平井定武、三雲成持、三上恒安や楢崎、池田、新村氏などとの交流も深かったようである。
重興の嫡子筑後守重存は、六角義治に仕え、二男重久・四男成清は六角義治に従い、九里(蒲生郡)・野洲川表の戦いにて戦死している。

構造と感想
木村館は、集落の北西端に位置し、現在でも子孫である木村氏がお住まいになられている。
館は、単郭方形で南西面を除く三方に土塁と北西隅に櫓台が残り、水堀跡もほぼ四囲を取り巻いており、良好な遺存状態である。
南東側の南寄りには、虎口が開き、堀には橋が架かり、その奥に如何にも歳月を重ねた重厚な長屋門が構えられ、一見で歴史を体感できる遺構である。
なお、滋賀県内でほぼ完存する中世城館跡に末裔の方が現在も住んでおられる遺構としては、三上館(旧野洲町)、桜生城(旧野洲町)、井上館(竜王町)、小山館(旧木之本町)があるが、いずれも永く大切に保存してほしいものである。

道 案 内
長屋門と水濠跡
名神高速道竜王インターを下りて国道477号を北に4.2km程行った西横関交差点で左折し国道8号線に入る。国道8号を南西に3.3km程行って左手に西池のあるT字路を右折し、県道32号線に入る。北西に道なりに2.7km程進み中北交差点で右折し、北東に430m行った二つ目の交差点で右折する。集落に向かって100m程進み十字路で右折、50m程先のT字路を左折、前方右手の林が館跡である。
なお、集落中心部にある浄専寺に永原御殿の城門が移築されている。         

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