No25363−12 No25363−13
津山城 下山北城
(つやまじょう) (しもやまきたじょう)

津山城下段南面の土塁と虎口 下山北城西面の虎口

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 水口町下山字畑佐、大谷 所在地 : 水口町下山字下ノ前
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城  形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、堀、虎口、窪地 遺  構 : 土塁、堀切、堀、虎口、櫓台、
訪城日 : 平成24年1月8日 訪城日 : 平成24年1月8日

歴   史
・・・・津山城・・・
津山城は、地元で「津山左京の居りし舊址」と伝えられている。
しかし、伴氏一族に津山を称する者はおらず、慶長8年(1603)伴藤左衛門唯利が美作国津山に出て、森忠政(津山藩)に仕えており、また、伴半兵衛直次も森氏に仕えていることから氏と地名を取り違え津山氏と誤り伝えたのでないかとされる。
・・・・下山北城・・・
通称「伴谷」と呼ばれる山村三郷(上山村・中山村・下山村)に勢力を張っていた伴氏一族の城と思われるが、詳細は不明である。

構造と感想
・・・・津山城・・・
津山城は、下山集落の北西に位置し、思川を望む半島状丘陵の頂部から麓にかけて築かれている。丘腹を切り込んで土塁囲みの郭を上段に一郭、中段に二郭、下段に一郭を連ね、背後から側面にかけて馬蹄形に大堀切と空堀を穿っている。下段郭は方形を指向し、詰城と居館が一体となった根古屋式山城の形態をしている。このように複郭構造で、下段以外は形状も不整形であり、甲賀には珍しい城郭である。
上段は、丘腹を掘り込み35m四方の削平地を造り、背後と両側面に土塁と空堀をめぐらしている。削平は悪く、土塁と削平面の境界も不明瞭である。土塁の裾幅は相当広く、内斜面は巨大で最高所では二段築成になっている。東南隅はL字状で上面が広く、外側に土塁が付帯している。下方の南面側に土塁は設けられていない。
中段の二郭は、中央の小さな坂土塁で東西に区画され、坂土塁の西側に低土塁で囲繞された窪地、東側に谷形状の東郭がある。東郭の東側の堀は底が郭面よりも高い天井川状を呈している。西郭は、西側を高さ約2mの土塁で囲み、正面側も低土塁を設ける。郭内は山側が一段高く、緩い傾斜があるが、下段は平坦である。なお、この坂土塁は上段へ通じる城内道でないかと思われる。
下段は、ほぼ方形で両側面から前面にかけて高さ約2mの土塁をめぐらし、東側に横堀を構えるが、これも天井川状をしている。南面中央に虎口が開き、脇には僅かな石積みが見られ、宝篋印塔や一石五輪塔も集められている。
・・・・下山北城・・・
下山北城は、下山集落の北東に位置し、思川を望む半島状丘陵の中腹に築かれている。西側奥に大谷旧池がある谷を挟んだ東西で津山城と向き合っており、甲賀郡中惣の城らしく近接した位置関係にある。こちらの城は、単郭方形で甲賀の一般的な城である。
丘陵に切り込み築かれ、削り残しの土塁が削平地の四囲を囲繞し、その外側の西面以外の三方は空堀が穿たれ、北東隅は丘陵の高所側となり土塁も堀も西と南に向かって大きく傾斜しており、堀底は階段状になっている。西と南面には虎口が開口していて、南側虎口の両脇土塁の内側斜面は土塁上面より一段低く櫓台状になっている。また南面の空堀は帯郭状で南東隅に横矢が掛かる突出する土塁がある。
丘陵の削り込みが深く、土塁の高さに比べ、郭面と集落との高低差はほんの僅かとなっているので、西側から直登で直ぐ城跡内である。

道 案 内
国道1号線の伴谷口交差点を北に曲り県道178号線に入り、丘を越えて1.2km程北上し、次の丘陵に突き当たT字路で左折する。丘陵裾を290m程西進して右手の大谷旧池に通じる農道に右折する。農道を北に130m程入った右手側の丘陵に下山北城がある。  さらに170m程道なりに進むと池の南西端に至り、その前方の丘陵上が津山城である。

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津山城上段の土塁 下山北城東側の横堀と土塁