城跡は、高宮小学校や高宮幼稚園となっており、グランドの北西角に城趾碑と案内板が立てられている。
遺構は残っておらず、周囲より一段高くなった敷地と高宮小学校の北側に流れる外堀跡とされる五社川(化粧川)に痕跡が見られる程度である。この化粧川は、上流の久徳城主の姫が水利の悪い高宮の高宮三河守に輿入れした祭の持参金ならぬ持参水との伝説がある。
なお、以前には高宮小学校グランドに高宮城ゆかりの井戸があったようだが、埋められてしまったとのことである。
化粧川と呼ばれる外堀跡向かいの徳性寺の山門や両袖の石塁や土塁により遺構らしさが感じられる。