No25207−08 古高城 (ふるたかじょう)       

大将軍神社 楼門前の水路と土塁

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 守山市?魔堂町字円前、古高町
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : 堀跡
訪城日 : 平成25年9月8日

歴   史
古高の地は、源頼朝の挙兵に馳せ参じ鎌倉幕府の創設に貢献した佐々木氏の所領となり、佐々木四天王と云われた野洲郡三上を本拠とした重臣の三上氏が治めた。
三上氏は、野洲御神神社の神官で朝廷から御上姓を賜り、その血を引く三上盛實が清和源氏の源義綱に仕え、猶子となり源氏の使用を許されたと云われる古い武家である。その後、佐々木満冬が三上家の養子に入り三上清道と名乗って以来、三上あるいは佐々木を名乗るようになった。また、古高氏は渡来人の物部氏の血を引く氏あるいは佐々木氏の支流と云われ、いずれも古い独立した武家であったが、佐々木氏の勢力が伸長する中で姻戚関係になり、家臣に組み込まれていったと考えられている。
古高城に関する詳細は不明であるが、古高氏の居城とされるが、三上氏との関係は不明である。
なお、地元では代将軍神社あたりに代官所があったとの伝承があり、江戸期に三上藩の支所があったと推定されている。
また、幕末に薩長と公卿を結びつける役割を果たした勤皇の士、古高俊太郎を輩出していることから、武家古高家はこの地で存続していたものと思われる。

構造と感想
古高城の所在は明確でないが、城郭に関係する小字名が残っている。大将軍神社が鎮座する字堂ノ内を中心に、北東隣に「西屋敷」「東屋敷」、南西隣に南屋敷が存在し、西と東屋敷の三方を水路が廻っており、堀跡のように思える。また、大将軍神社境内に土塁が残っているが、城郭遺構ではなかろうか ?
なお、大将軍神社は、応仁元年(1467)に応仁の乱の戦火で焼失し、三上伊予守満實が社殿を再興している。

道 案 内
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道8号方面に向かい1.4km程走ると国道8号に合流する。国道8号に入り北東方向に520m程先の宅屋口バス停を越えた交差点(北東側にパチンコ店がある。)を左折する。県道145号線に入り北西方向に道なりに3.3km程行った古高町交差点で左折する。南西方向に280m程行った左手が大将軍神社の背後である。南東側の表に回り込み神社に駐車できる。

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