No25461-01 大原氏舘 (おおはらしやかた)       

遠景 西側の土塁

城郭の概要
別  名 : 判官屋敷、大原城
所在地 : 坂田郡山東町本市場
築城年 : 仁治2年(1241)
形  式 : 平城(居舘) 
遺  構 : 土塁、堀、
訪城日 : 平成22年2月13日

歴   史
大原庄を与えられた佐々木重綱を祖とする大原氏の館跡である。
鎌倉時代初期の仁治2年(1241)12代佐々木信綱の時に近江守護・佐々木氏は四氏(大原氏、高島氏、六角氏、京極氏)に分流した。重綱は嫡男であったが、近江の主要な地は与えられず、大原庄を与えられたのみであった。
それは嫡男と次男・高信(高島氏)が初婚の妻の子で、三男・四男が鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の妹の子であったためと云われている。三男・泰綱は江南六郡を領し、近江守護を受け継ぎ、六角氏と称した。四男・氏信は江北六郡を与えられ、京極氏を名乗った。
大原氏は室町時代に入ると佐々木氏の嫡男系という血筋の良さから将軍の奉公衆に列したが、11代政重を最後に直系が断絶し、12・13代と六角氏から養子を迎え存続したが、信長の時代、高賢のとき六角氏とともに滅亡した。

構造と感想
竹林の中に東西約60m、南北約80mにわたって外側に堀とその内側に小高く築かれた土塁が残り、特に南側の堀と土塁は今でも明瞭で当時の規模を留めている。
舘跡は、小字堀の内と呼ばれ、その周辺には堀の西、堀の南、中屋敷などの城館に関連した小字名が現在も残っている。
大原氏は、他の三氏に比べ領地は極端に少なく、居館もあまりにも小さい。鬱蒼とした竹林に覆われた舘跡を眺めていると、大原氏の祖・重綱は佐々木信綱の嫡男でありながら、惣領家を相続できず、領地も最も少なく、その無念さが漂っているように感じられる。 

道 案 内
郭の内部
県道37号線の長浜IC口交差点を東に3.6km程行った東上坂交差点で右折する。国道365号に入り南東に4.7km程行った春照西交差点で右折し、県道246号線に入る。南に330m程行き右折し、西に750m程行った小さな十字路で左折する。細い道を南に180m程行き左折し、東に50m程行った右手に説明板がある。舘跡はその左手、北側の竹林にある。
                               

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