No25526−06 日爪の遺構 (ひづめのいこう)       

堀or井戸 段築

城郭の概要                  
別  名 : 日爪館
所在地 : 新旭町饗庭
築城年 :
形  式 : 居館
遺  構 : 土塁、堀、濠、井戸、櫓台、
訪城日 : 平成24年12月23日

歴   史
日爪城の根古屋と伝えられる。日爪城は、饗庭氏の一族で山門領荘官であった日爪氏の創築によるものと推定されている。
饗庭氏は、美濃の土岐氏に出自をもつ武士が鎌倉時代に山門領海津荘の荘官としてマキノ町蛭口に定住したとされ、室町時代に入って木津荘を開拓し設立した。当時の木津荘は、現在の新旭町の北半分に当たるものと思われている。
後に饗庭氏は三家に分かれ、西林坊(日爪村)、定林坊(霜降村)、法泉坊(五十川村、針江村)を称した。
貞治6年(1367)饗庭氏は日爪右京介為治を地頭代として日爪村に住まわせ、日爪集落の南西背後に日爪館を構え、詰城として日爪城を築城したと推定されている。
なお、日爪城は清水山城の出城との伝承も残っている。

構造と感想
日爪集落西側の標高207mの山上に日爪城があり、その城跡より東南東の山麓(日爪集落の南はずれにあたる)に根小屋と伝わるところがある。現在そのあたりの下方部は、集落の共同墓地となり、上方には数段の土塁、堀、濠、櫓台などを設けた段遺構が残っている。特に、南面を防御する竪土塁が日爪城より尾根筋を下って根古屋まで達しており、山城と根古屋の一体性が窺える。

道 案 内
国道161号る。1.1km程行った十字路で右折し、西方向に「覚傳寺」の前を通り過ぎ道なりに610m程行って橋を渡る。渡って直ぐに左折して川沿いを90m行くと広い道に突き当たり右折する。その70m程先の左手が登り口である。
ここを奥に入ると墓地で、墓地とその上方が根古屋である。

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