No25366−14 No25366−15
磯尾城 竜法師城
(いそおじょう) (りゅうぼしじょう)

磯尾城 北より頂部を望む 竜法師城 南面土塁の内側 

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲南町磯尾字東側 所在地 : 甲南町竜法師字上出
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 削平地、土塁、虎口状開口 遺  構 : 土塁、堀切、横堀、竪堀、
訪城日 : 平成24年5月5日 訪城日 : 平成24年5月5日

歴   史

・・・・磯尾城・・・・は、地元に何らの伝承もなく、ほとんど削平されておらず、城郭遺構か不明である。
・・・・竜法師城・・・・は、何ら伝承や記録もなく詳細は不明である。


構造と感想
・・・・磯尾城・・・・は、伊賀国阿山郡(現三重県伊賀市)と境界を接する、甲南町上磯尾集落の東側を遮る南北に細い丘陵端部に立地している。構造は、南から北に向かって緩やかに傾斜する丘陵の先端を削平して平坦面を造っている。南端が頂部で墓地と畑に造成されている。その北側が最大の平坦地で、北西隅の下部に虎口状の開口部があり、北側が土塁にでなっているが、南側は通路状の帯郭になっている。また、北側の土塁は、北へ行けば通路となり、北端の平坦地につながっている。開口部の内は約10m四方の平坦地で南北よりは一段低くなっており、上方からの攻撃を意識した造りと思われる。しかし、池に向かって開口しているため、池に関わる施設であった可能性も指摘されている。
全体として削平が甘く、切岸は低く、丘陵続きを遮断する堀切等の施設も無く、城郭遺構と断定できていない。構造も甲賀にはあまり見られないものである。
・・・・竜法師城・・・・は、甲南町竜法師の南方、南から北にのびる丘陵先端部の比高30mの位置に築かれている。土塁上からは北方の杣川流域一帯への眺望がきき、また、西方の丘陵上に伊賀市玉滝に通じる「伊賀道」が南北に貫いており、杣川流域だけでなく伊賀方面も監視できる立地条件を備えている。
構造は、丘陵先端の東側に築かれた主郭を中心に、その南側に複数の平坦地が付帯している。主郭は「コ」字形に削った土塁に囲まれた東西12〜25m、南北25〜30mの規模で、土塁は自然地形を利用し、背後の西側土塁が最も高く、郭面から14mもある。北側と南側の土塁は東に向かって下降しているが、元の丘陵斜面の勾配であろう。土塁の外側は、「コ」の字状に堀切がめぐり、北側では横堀になり、主郭の北端へ、南側では竪堀となって南側の郭につながっている。背後の堀切は巾9m、土塁天端から約3.5m、西側城外から0.7mの深さを測る。南側の郭は、東西34m、南北23mの規模で、南東面にクランク状に折れた低い土塁がめぐっている。この郭を経由して主郭と竪堀へ通じていたと思われる。
新名神高速道路建設に伴う発掘調査の結果、16世紀後半の少量の土師皿と擂鉢などが出土しただけであり、竜法師城が日常生活の舞台ではなく、見張り台あるいは緊急時の逃げ城としてのみ利用されていたことを示している。今回の出土遺物で逸品とされるのが「石製神像」?で、単純に「神」を表現したのではなく「陰陽道」系の信仰・呪法に基づく「神像」と考えられている。
新名神高速道路建設で大部分が破壊され現存しないと『甲賀市史第七巻』に記されているが、主郭部や南側の郭は今も残存している。

道 案 内
・・・・磯尾城・・・・は、新名神高速を下りた甲南IC口交差点を右折し、広域農道に入る。広域農道を南に740m程行った磯尾口交差点で右折し、県道49号線に入る。県道49号線を南方面に道なりに2.2km程行くと上磯尾バス停のある十字路に至る。十字路を左折し、東に70m程行った突き当たりで左折する。北に70m程北上した右手の丘陵上が城跡である。
・・・・竜法師城・・・・は、新名神高速を下りた甲南IC口交差点を左折し、広域農道に入る。広域農道を北に540m程行った新治口交差点で右折し、県道337号線に入る。県道337号線を東に道なりに1.3km程行った右手の丘陵上が城跡である。10m程先に細い新名神をくぐる隧道がある。

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