No25205-05 大森城 (おおもりじょう)       

坂土塁 現地の縄張図

城郭の概要                  
別  名 : 上大森城
所在地 : 八日市市大森町
築城年 : 室町時代
形  式 : 山城(標高230.8m)
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、枡形虎口、櫓台、井戸
訪城日 : 平成22年10月23日

歴   史
「大洞弁天当国古城主名札」に布施藤九郎公保が上大森城主として在城したとあるが、築城は公保の父にあたる観音寺城の布施淡路丸に名が残る布施淡路守公雄とされ、縄張りの様相からは織田信長の近江侵攻に対して作られた城と考えられている。
布施氏一族は六角氏の重臣で、八日市市布勢町の布施山城および布施館に関わったとされる三河守家が本家筋にあたり、当布施氏はその分家筋とされる。
公保は六角氏没落後に蒲生右兵衛大輔(賢秀)家中の身分であったが、天正8年(1580)信長の馬廻り衆に召し抱えられ安土城下に屋敷を与えられ移住し、大森城はその頃廃城になったと考えられている。
公保の子の友次は、豊臣時代に出羽最上氏に仕え、江戸時代に最上氏が大森陣屋を構えた地は、布施氏の居館跡であった。

構造と感想
この大森城跡は、旧八日市市の南に伸びる布引山丘陵にあり、東西約90m、南北約108mの規模を持つ山城である。郭の縁辺部には、自然地形を巧みに利用した削り出しの土塁や掻き上げの土塁が築かれ、要所要所には櫓を設けていたとみられる方形の土壇が残っている。
縄張りは、大きく上下2段からなっており、丘陵の最高所に土塁で三方を囲繞した方形の主郭を置き、西側に一段下がって副郭を配している。主郭と副郭の北面は急斜面となり、下方に広い面積を持つ下段郭が設けられ、主郭側を除く三方に遺存度の良い土塁が巡っている。下段の郭内はすり鉢状で東から西に低くなり三つに区画されている。北と西に虎口が開き、西の区画に明瞭な井戸遺構が残されている。
下段から上段への連絡通路は高い防御性を備えている。下段中央付近の遮蔽土塁を兼ねた高低差3mの坂土塁を登り、副郭北東隅の櫓台下に突き当たる。そこで左に折れ、次に右に折れ、主郭と副郭の土塁間を進み、主郭南西隅の櫓台下で左に折れてやっと主郭に入ることが出来る。見事な食い違い虎口である。主郭の北東虎口も内枡形状で櫓台から横矢が掛けられている。
東西の尾根筋は馬の背路とし、その両側に竪堀をいれて城域を区切っている。
麓から城域まで木々が伐採されており、城内はもちろん麓までも見通すことができ、遺構も見事で嬉しい限りであった。また、20分程も登れば城跡に着くことができる。

道 案 内
 下段郭の北虎口
名神高速道八日市インターを下りて国道421号を東の永源寺方面へ2.4km程行き国道307号との交差点(御園)で右折する。国道307号を南に1.2km程進み、瓜生津町交差点で右折し、県道170号線に入る。西に2.2km程行った大森町交差点で左折し、県道46号線に入り南に510m程行って右に大きくカーブする。カーブの終わる左手に大森神社があり、神社の手前で鋭角に左折し、細い一本道に入り500m程進むと城跡の案内板が設置されている。右手前方の尾根上が城跡である。
            

(城跡)  (登り口) TOPへ 戻る