No25205-04 布施山城 (ふせやまじょう)       

主郭の中門跡 副郭から主郭切岸を見る

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 :八日市市布施町、蒲生町稲垂、
築城年 :
形  式 :山城(標高240.3m)
遺  構 :土塁、石積み、虎口、竪堀、井戸跡
訪城日 :平成22年10月23日         

歴   史
布施氏は佐々木六角氏の家臣で、本家筋と見られる三河守家と分家筋の淡路守家に分かれていた。布施山城の城主は三河守家で、淡路守家の城は東方5kmにある大森城とされている。
永禄6年(1563)六角氏被官の後藤氏が観音寺城内で六角義弼に誅殺されると、これに反発した家臣が自領へ引き上げる「観音寺騒動」が起き、布施氏は永禄9年(1566)浅井氏と呼応して布施山城に拠って六角氏に反旗を翻した。この騒動は、蒲生氏の調停によって収拾されたが、この結果「六角氏式目」が結ばれ、六角氏は権限を大幅に規制されることになった。
布施氏は、永禄11年(1568)の織田信長の近江侵攻に対し、この城に籠ったが敗れ、廃城となった。
なお、分家筋の布施淡路守の子・藤九郎は上大森に住み、織田信長に仕えた。

構造と感想
布施山城は古墳時代中期に築かれた前方後円墳と城域が重なっている。後円部が主郭で前方部が副郭となっている。主郭は円形に近く東西・南北約30mを測り、縁辺に高さ1m弱の土塁が全周し、北と南の二か所に平入りの虎口が開いている。北の虎口の両脇には石積みが認められ、以前は石積みの上に石室の大石を渡した埋門であったとされる。郭内の東部には径6〜7mの円形の窪地が認められ井戸(溜め井)でないか思われている。主郭から伸びる二筋の尾根には堀切に代わる竪堀を設け、敵の侵入を阻もうとしている。また、その間に畝状空堀群も設けられている。
副郭は、主郭から3m程下がり、約25m四方の広さを持ち、東・西・北の三方に高さ0.5m程の土塁が巡っている。東に虎口が開き、登城路は屈曲させられ、副郭および主郭から見事に横矢が掛かっている。
少し低木が邪魔に思えるが、概ね遺構を確認することが出来る城跡である。

道 案 内
井戸跡と土塁
名神高速道竜王インターを下りて国道477号を南に430m程行った竜王IC南交差点を左折し、国道477号を進む。南東に2.7km程行って祖父川を渡り、直ぐの岡屋交差点で左折する。県道165号線に入り北に280m程行ったY字路を右手に進み710m先の岡屋口交差点を直進する。その先は広域農道で2.3km程行くと東出交差点で直進する。その先は県道13号線で道なりに4.1km程走ると近江鉄道手前の川合赤坂交差点に至る。同交差点を左折し名神高速の下をくぐり近江鉄道沿いを1.5km程行った布施町交差点で左折する。西に320m程行った十字路を左折し、30m先のT字路で右折する。その先約300mの左手に布施公園の駐車場がある。駐車場から池沿いを南に70m程行き、小川を渡った右手に小さな石仏があり、その左手横から山に入る。2、30分程で城跡に至る。
                        

(城跡)   (登り口) TOPへ 戻る