No25464-7 若宮氏舘 (わかみやしやかた)       

若宮氏顕彰碑 舘の正面

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 坂田郡近江町飯
築城年 : 不詳
形  式 : 平城(居舘) 
遺  構 : 堀跡水路、                  
訪城日 : 平成22年2月21日

歴   史
江北守護の京極氏6人衆の一人で、後に浅井氏に仕えた若宮氏の居館とされる。
永禄9年(1566)に当主の若宮左馬助が討死し、男子相続者がいなかったため、浅井長政は左馬助の娘・まつ(千代の従姉妹)を当主とし若宮氏を存続させた。
千代は、浅井氏家臣・若宮喜助友興の子として弘治3年(1557)にこの地で生まれたと云われる。(郡上八幡の遠藤氏の子という説もある。)永禄9年(1566)に父が戦死し、伯母の夫・美濃の不破氏に養われたが、長じて飯村に戻り、隣村の宇賀野村の長野家に寄寓していた山内一豊母子と運命の出合いをし、一豊(土佐藩初代藩主)の妻になったとされる。夫の出世を助ける内助の功を発揮し、妻の鑑とされた。晩年は京都に住み元和3年(1617)に没し、墓は妙心寺大通寺に夫の墳墓とともに祀られている。

構造と感想
舘は、大字飯村の西部地区に位置し、明治初年の地積図で水路の廻る北側の一画を上屋敷、南側を下屋敷と記されている。幅約1mの水路は、随所で折れ曲がり、弧を描き舘の外郭を形成している。また、上・下屋敷を二分する水路沿いの道路、或いは南屋敷に入る道路は複雑な形状を呈し、城館の構えの一つを構成するとされる。
舘は、地元に残った家臣が若宮外記仲間として、若宮氏の所領を守り、現在も舘を管理するとともに、追悼法要を続けている。
大河ドラマ「功名が辻」の放映された年は、多くの人が訪れたが、今はひっそりとしている。

道 案 内
国道21号の米原IC口交差点を西に2.1km程行った西円寺交差点で右折する。国道8号に入り北に 1.5km程行った顔戸交差点で左折し、県道235号線に入る。県道235号線を西に490m程行くと宇賀野交差点でそこを左折し、県道556号線(旧国道8号)に入る。県道556号線を南に220m程進んで信号を右折し、西に340m程行くとJR坂田駅で、駅前を左折して南に330m程進むとT字路がある。T字路で右折して西に210m進んで左折、南に130m程行った八幡神社に駐車する。そこから徒歩で東に140m程先が舘跡である。

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