No25522−01 伊井城 (いいじょう)       

主郭背後の土塁 堀切と土橋

城郭の概要                  
別  名 : 日置前城、酒波城
所在地 : 今津町日置前字伊井
築城年 : 戦国前期
形  式 : 山城(標高489m)
遺  構 : 竪堀、堀切、土橋、
訪城日 : 平成24年11月24日

歴   史
伊井城は、山麓の伊井城館(三谷城)の詰城とされる。
『近江與地誌略』に「山中丹後守秀国居城の址也 秀国は高島七頭の一員なり 信長に滅ばされる」記され、日本城郭体系では、『近江蒲生郡志』に山中氏は「鈴鹿山麓山中村に住し、氏を称す 橘氏なり 諸兄二十世の孫義清始めて山中氏を称す」記されることから、甲賀武士の山中氏の同族が高島郡河上郷に住みついたとしている。

伊井城が要害地形に依存し防御施設に工夫が見られない古い山城であることから、『朽木文書』に「長享元年(1487)将軍足利義尚は、六角高頼によって横奪された近江国内の寺社公家領を回復するため、大軍をもって近江征伐を行った。幕府の出陣準備を聞いた六角側では、北国街道(西近江路)を封鎖するために高島郡河上荘に城郭を築いた。これに対し、幕府の命を受けた朽木貞綱や若狭の武田国信等は河上の城を攻撃した。」とあり、この「河上の城」が年代観や地理的条件から伊井城に重なる可能性が高いのではないかと考えられている。

構造と感想
伊井城は、箱館山山頂から尾根を北東に1km程たどった標高489mの山頂部南東面にあって、城域は東西約80m、南北約20mで、堀切で背後を遮断し、西から東に階段状に連なる5段の段郭を築き、更にその2段目付近から南方に向け3段の段郭を設け「入」の字形をしている。なお、主郭背後に土塁があるのみで、他に特段の防禦施設も見当たらない単純な構造の小規模な山城である。また、灌木が茂って来ており、全貌の観察がままならない状態になっており、手入れが必要な時期に来ている。
しかし、標高489mから奥琵琶湖や高島市域を一望できる絶景は目を楽しませ、疲れを癒してくれる。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から敦賀方面の西方向に6.5km程行った塩津交差点で左折し国道303号に入る。国道303号を8.1km程走ると国道161号との野口交差点に至る。野口交差点を左折して国道161号に入り、今津方面に11.9km程行った日置前ランプで高架を下りて直ぐの日置前大塚交差点を右折する。県道534号線に入り西に880m程行き伊井バス停の手前のT字路を右折し日置前集落に向かう。350m程北上するとT字路に突き当たり、右手側10m程の所に左に入る細い道がある。その細い道に入り直ぐの辺りに駐車させてもらう。そこから徒歩で細い道を奥に入って行き水路を渡りやや左手の前方に獣除け柵の扉があり中に入る。さらに奥に進むと林道を横切り、少し先に左斜め方向に分岐する道があるので、そちらに入ると直ぐに「伊井城登り口」の標柱がある。後は道なりに登って行けば、登り始めから50分ほどで大きな伊井城説明板のある所に至る。説明板の背後が城跡である。なお、30分程登ると「新道」の標識が立っており、そこは右手の道でなく標識背後の斜面の道を登る。

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