No25383−08 長寸城 (ながすじょう)       

虎口の石積み、主郭北東方向 主郭南東外側の空堀

城郭の概要                  
別  名 : 上の城山
所在地 : 蒲生郡日野町佐久良
築城年 : 室町期
形  式 : 山城(標高269.2m)
遺  構 : 土塁、竪土塁、石積み、竪堀、空堀、
訪城日 : 平成22年11月27日

歴   史
奥津保(奥野保)と呼ばれた日野町北東部は、南北朝時代(1336〜92)までは、儀俄(蒲生)氏支流の佐久良氏が支配していたと考えられているが、南北朝時代の終わり頃に清和源氏満季流とされる愛知郡小椋庄を本拠とする小倉氏が、儀俄氏に代わってこの地を支配するようになった。
室町中期になると小倉氏は三・四家に分流し、本家が蒲生郡佐久良庄に移り、佐久良庄の西北の丘陵上に「下の城山」と呼ばれる佐久良城を築き本城とし、その東約1kmに「上の城山」と呼ばれる長寸城、さらに鳥居平城(とりいひらじょう)、四ツ谷城園城(おんじょう)等を築き家臣に守らせたとされる。
なお、城主は寺倉氏ともされるが詳細は不明である。山裾には「寺倉」と云う小字があり、寺倉氏の屋敷あったと云われる。長寸城が機能した時期に、侍屋敷があったという伝承もある。

構造と感想
 L字状の窪地、枡形
山頂に南北約58m、東西約32mの主郭が置かれ、郭内は北が高く南の虎口に向かってすり鉢状に低くなっている。南東側の掘り残しの土塁は、南が太く高い堅固なものとなっているが、その北方に続く土塁や西側の土塁は低い。なお、西側土塁の南端部は郭と思える広さで、南側先端裾部にはコ字型に10m余の石積みが認められ、崩落した石も散乱している。この広い土塁は櫓台と推測され、南から東側にかけてL字状の窪地で枡形状虎口が想定できる。主郭の東方外縁は空堀と竪堀が巡り防備を固めている。
しかし、南西の緩斜面に畝状空堀群のような遺構もあるが、主郭部以外は明瞭性に欠け、城郭遺構か判別は困難とされる。      

道 案 内
 山道への分岐
名神高速道八日市インターを下りて国道421号を東の永源寺方面に進み、2.4km程行った国道307号との(御園)交差点を右折し、国道307号に入る。南に4.9km程行った中在寺交差点を左折し、県道525号線に入る。東に2.4km程行くと左手に桜谷小学校があり、手前で左折し130m程北に入ると学校用の駐車場がある。学校裏手のコンクリート階段を登り、右の写真の所から左の山道を沢沿いに尾根まで登り、尾根筋を左手に230m程進むと城跡に至る。
           

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