No25424-04 平居城 (ひらいじょう)       

城址碑 最近に破壊された土塁跡

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 愛知川町平居
築城年 : 不詳
形  式 : 平城(居館)
遺  構 : -
訪城日 : 平成22年7月10日     

歴   史

平居城は、平井氏の居館である。
近江愛智郡誌は、「豊国村大字平居に平井氏在邸の址あり今竹林と化す」と記す。「江州佐々木南北諸士帳」には、「平井城主 佐々木旗頭 小倉備前守実治」とある。
平井氏について、「近江愛智郡誌」は、愛智流と小倉流の二氏があるとする。愛智流平井氏は、「東寺百合文書」で円城寺領公文・当国御家人として南北朝時代には愛知郡内で活躍していたことが確認されている。戦国時代には六角氏・重臣の加賀守定武がおり、娘を小谷城主・浅井長政に嫁がせたことで著名である。
一方、小倉備前守実冶については、近江愛智郡誌の「小椋氏系図」に小倉流平井氏に「実冶、山田右京亮・山田住、後に高野城立て籠もる」とある。また、天文24年(1555)の「豊満大明神御渡り次第」の上庄筆頭に署名する小倉藤助実冶がおり、愛知井の水利を掌握していた上庄の筆頭者として、平居城に居していたと考えられるとされる。


構造と感想
「平居村地券取調総絵図」で小字西屋敷に周囲を草荒とした方形区画があり、その南辺には土塁痕も描かれ、この区画が平居城跡と比定されている。 
平居城の堀は、愛知井である藤川が直結しており、灌漑水利を掌握して、居館主導で集落を形成したと考えられている。
地籍図と伝承から100m×150mの巨大な在地土豪の居館が想定されている。周辺の小字には東屋敷、馬場も認められる。
先輩諸士のサイトで土塁の一部が写真に撮られていたが、私が訪城した時には完全に破壊され跡形もなかった。城ブームの昨今でも史跡の破壊が進んでいることを痛感させられた。   

道 案 内            
名神彦根ICを出た国道306号の原町交差点を西に770m行った国道8号の外町交差点を左折する。国道8号を南に13.2km程行った御幸橋北交差点を左折する。県道213号線に入り、東に460m程行ったY字路を左斜めに進む。道なりに1.9km程行くと平居交差点で直進し、100m先の左手に城址碑が建っている。

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