No25481-18 | 三田村城 | (みたむらじょう) |
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南側の虎口 | 土塁上の鐘楼 |
◆ 城郭の概要 | ![]() |
別 名 : 三田村氏舘跡 | |
所在地 : 東浅井郡浅井町三田村 | |
築城年 : 室町期から戦国期 | |
形 式 : 平城(居舘) | |
遺 構 : 郭、土塁、堀、虎口、 | |
訪城日 : 平成23年8月25日 | 北郭の土塁と堀 |
◆ 歴 史 | ![]() 西側の土塁 |
京極氏や浅井氏に仕えた土豪・三田村氏の居城である。 |
◆ 構造と感想 |
姉川と草野川の間に位置する三田村集落の中心部にある城館で、三田村左右衛門屋敷が知られており、その跡に伝正寺が建立されている。 この屋敷は四方60m程の敷地を有し、四周には今も土塁が残り、西側は幅約4m、高さ約.3.5mで、伝正寺の正面にあたるやや南寄りに参道入口が設けられ、参道はクランク状に折れて本堂に続いている。鐘楼は参道入口の北側やや広めの土塁上に建てられており、参道入口は虎口跡で、鐘楼は見張り台的な施設が存在していたものと考えられている。 北側土塁は、かつて東側土塁と溝口を隔て接するまで伸びていたといい、西端の外側には小さな沼地があったと伝えられる。南側土塁は最高値2.5m、最大幅5mあり、北・西の土塁に対して幅がやや広いが低めになっている。この中央やや西寄りに溝口が設けられ、寺内の庭園を経て北東に抜けるため、内堀があったものと思われる。東側土塁は伝正寺の東にある景流寺・北野神社との境目をなし、北端から35m程南下した所でL字状に5〜7m位寺側に折れており、更に再び南に折れて南側土塁と繋がっている。なお、景流寺の敷地南面には伝正寺の外溝がそのまま続いているため、三田村一族の屋敷地が伝正寺周辺に群集していたと考えられ、小字北の里・南の里・西の里・東の里はいずれも孫字名に屋敷地の名を残している。 湖北地方に多い平地城館の中でも遺構の残りが良い城跡である。伝正寺の北側の公民館周りにも土塁が残っており、今も複数の屋敷地の存在を確認できる。 平成19年7月26日「北近江城館跡群」の一つとして国史跡に指定されている。 |
◆ 道 案 内 | ![]() |
県道37号線の長浜IC口交差点を西に330m程行った山階町東交差点を右折し、北に県道を1.5km程行き、国友町交差点で右折する。県道271号線に入り1.1km程東進して姉川に出る。姉川を渡り北進すること425m程で右折、東に1km行った三田南のバス停で左折する。集落内を北に250m程(途中のクランクは左、右に)行った右手の寺が城跡である。 |
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