No25363−34 No25363−35
山上城 杣中城
(やまがみじょう) (そまなかじょう)

山上城 南西よりの遠景 杣中城 南西土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 : 芥川城
所在地 : 水口町山上字下り苗代、岩ノ谷 所在地 : 水口町杣中字北出、西出
築城年 : 室町期 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀切、虎口、櫓台、 遺  構 : 土塁、堀、櫓台
訪城日 : 平成23年11月3日 訪城日 : 平成23年11月3日

歴   史
・・・・山上城・・・・の城歴等の詳細は不明であるが、城主は山上氏か。
・・・・杣中城・・・・の城歴等の詳細は不明であるが、別名が芥川城と云われ城主は芥川氏か。

構造と感想

・・・・山上城・・・・は、広徳寺のある庚申山の北東麓に所在する山上集落東端の独立丘上に築かれている。山上公民館南側の一段高い町民グラウンドには山上館があったと伝えられ、山上館から堀切の名残と思われる道路を挟んだ東側丘陵上が山上城である。谷を挟んで南西側約120mの尾根上には山上U城が所在している。
山上城の構造は、東西約30m、南北約20mの郭を高さ約1.5mの土塁が西面と南面にめぐり、北側から北東部の土塁は失われ、地盤面が北東に下降しており、後世の破壊を受けたと思われる。
南面東端に虎口が開き、南に出て、直ぐ東に折れ、約20m東進し、小規模な土塁の南裾と切岸の間を通り抜け、直ぐ南に折れて下る城道が残る。
虎口東側の土塁は巾が広く約5m四方あり、進入路を制圧する櫓台であったと考えられる。櫓台から北に残る土塁には、西へ屈曲する部分が認められ、また、東側にある小規模な土塁との間は堀切状となり、侵入への備えと思われる。
山上は、信楽方面への山地を背にし、杣川を見下ろす台地上に所在することから、戦略上重要視された見え、山上城、山上館、山上T・U城も築かれていた。
・・・・杣中城・・・・は、芥川城とも呼ばれる。杣川集落の南東、杣川の河岸段丘上に所在する。杣中公民館周辺に断片的な遺構が残る。
城の構造は、甚だしい破壊を受けており、全容は不明のようであるが、公民館から約30mの南西側から南東側にかけて高さ約3m、長さ約50mの土塁がL字形に残り、その外側には最大巾約15mの堀も残っている。
更に、この土塁と堀から北東に150m程離れて高さ約3mの土塁状の高まりがあるが、集落の南側から東側に蛇行しながら流れる滝川の河川堤防の可能性も考えられ、城域を推測するのは困難とされる。
もし北東に離れた高まりを土塁とすると、単郭では規模が大き過ぎ、複郭構造と考えた方が自然である。なお、城域等を明らかにするためには、発掘調査が必要であろう。


道 案 内
・・・・山上城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。野洲川を渡り道なりに国道307号を3.8km程行った牛飼西交差点で左折し、広域農道に入る。広域農道を南に670m程走り、右手の集落に通じる細い道に入り、350m程西進する。突き当たりのT字路を左折して、220m程道なりに南進した右手側の尾根上が山上T城で、その北東約120mの丘陵上が山上城である。登り口は堀切の名残と思われる道にあるようだが、私は南側から斜面を直登した。
・・・・杣中城・・・・は、国道1号の水口町市街地の東端辺りで、近江グリーンロード(国道307号新道)の南方向に入る。道なりに2.6km程走ると水口大橋北詰交差点に至り右折する。野洲川を渡り道なりに国道307号を3.2km程行った大きな右カーブ手前の十字路で左折し、杣中集落に通じる細い道に入る。南東方向に460m程行った左手奥に公民館とグランドがあり、そこが城跡である。

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