No25483-9 中島城 (なかじまじょう)       

主郭 北側の横堀

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 東浅井郡湖北町丁野
築城年 : 元亀3年(1572) 
形  式 : 山城(標高133.2m)
遺  構 : 土塁、横堀、虎口、堀切、土橋
訪城日 : 平成22年3月27日

歴   史

元亀元年(1570)浅井氏が姉川合戦に敗れ、織田信長方に包囲されはじめると、小谷城の西に点々と分布する独立の山丘は、小谷城攻防にとって重要なものとなった。
織田信長は、元亀3年(1572)の小谷城攻めにおいて、小谷城根小屋のある清水谷の正面に位置する虎御前山に陣を築かせた。
浅井・朝倉軍は、虎御前山の北北西にある山丘の丁野山(岡山)および東に伸びる支尾根に城砦を構え、織田軍と対峙したと考えられる。
この山丘に構えられたのが丁野山城で、東に伸びる支尾根に築かれたのが中島城でる。浅井氏家臣の中島宗右衛門直親が守備したとされる。
天正元年(1573)4月12日武田信玄が信濃国駒場の陣中で亡くなると、信長は小谷城攻略を本格化させ、同年8月8日山本山城を開城させ、12日に大嶽城を、13日には丁野山城を落とした。
中島城も丁野山城とともに落城し、守将の中島宗右衛門は木之本の田部山城に退いたとされる。


構造と感想
丁野山は、西に高時川が流れ、南の山脇山との間や東と北側に低湿地が広がる天然の要害地形であった。この丁野山から東に伸びる支尾根の一頂部に築かれたのが中島城である。
主郭は単郭方形で四囲に土塁を廻らし、東と北の二方に横堀を備えている。北西角に西郭と外部へ通じる虎口が開く。また、東の土塁には、横矢掛かりが認められ、西の土塁は分厚く造られている。
主郭の西には、堀のかわりに土塁に囲まれた西郭が付設され、虎口脇と南西部の土塁が分厚く櫓などの施設を置いたと思われる。西郭の西下方に半円形状の腰郭が存在する。
主郭から東に尾根筋を下ると直交する低土塁、さらに下方に土橋を持つ堀切と竪堀が設けられ、堀切の内側肩には幅広の低土塁も施されている。特に北側の竪堀は、山裾近くまで延びばされている。
この堀切と竪堀は、丁野山と中島の両城を守るための総構えの施設と考えられている。
平成18年(2006)の大河ドラマ「功名が辻」の放映に際し、観光資源とするため、丁野山城とともに整備が行われ、大変見やすくなり遺構の残りも良いので、放映中は大変多くの人が訪れていた。
比高が30m程であり、本当に手軽に土塁、切岸、横堀、堀切などを楽しみことが出来る山城跡であり、是非とも訪れて戦国時代の臨場体感をして頂きたい。

道 案 内
西郭の虎口
県道37号線の長浜IC口交差点を西に330m程行った山階町東交差点を右折し、北に県道510号を道なりに6.5km程行くと国道365号の郡上南交差点に出る。その交差点を左折し国道365号に入り1.5km程北に行った丁野交差点で左折すると県道278号線である。西に900m程行った左手の独立山丘が岡山で、その山裾に広い会社の駐車場がある。そこから南方向の鞍部を目指し7・8分程歩くと峠に至る。峠の道標に従い左手に進路をとり、10分程登ると城跡に至る。
因みに右手に登ると20分程で丁野山城である。

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