No25502-3 田部山城 (たべやまじょう)       

主郭の搦手虎口 連結部の南側土塁

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 伊香郡木之本町田部・木之本
築城年 : 戦国期
形  式 : 山城(標高233.5m) 
遺  構 : 土塁、堀切、土壇(台状地)
訪城日 : 平成22年5月4日

歴   史
浅井氏の被官・田部氏の居城であったが、元亀争乱の際に浅井氏を救援に来た越前・朝倉氏が北近江に砦したうちの一つと考えられている。後には信長軍に攻められ丁野山城を開城・退去した中島宗左衛門がこの城に合流している。
田部山城は、田部集落の北北東背後の裏山(城山)頂部一帯にあり、西方に北国街道と北国脇往還の合流点および木之本宿を見下ろす要衝の地に位置している。

構造と感想
城は、山頂部の主郭とその南西に配された南北に長い副郭を両側に土塁を持つ通路で結合している。
主郭は、周囲が土塁で囲まれた半月状の郭で、内部西寄りに大型建物が建っていたと見られる土壇がある。主郭の東に虎口がありその外側に堀切と土橋が設けられ搦手口を防備し、北側には段郭を設け厳重に防備している。
副郭は内部が3段になっている。副郭の北西に小郭を接続させ、その二つの郭は北側にのみ土塁が設けられている。副郭の南方尾根には、田部集落に下る通路があるが、浅い堀切を設けているのみで、搦手や北側への通路が厳重に防御されているのとは、全く異なる構造となっている。この通路が山麓の居館に通じる大手道であったためと考えられている。
田部山城は、山城部分と麓にある居館との関係のよくわかる中世の城郭として、また元亀争乱の推移を知る城郭としても重要とされている。
遺構の遺存度は良好であるが、灌木と倒木などで遺構は見づらい。しかし、主郭や通路の低土塁や東端の堀切・土橋を十分観察できる。通路から副郭への虎口は二箇所で絞られた変わった構造をしているのが興味深い。

道 案 内
国道8号の木之本IC口交差点から東に540m程行った木之本交差点を右折し、南に1km程行った千田北交差点を右折する。ループ状の高架を登り国道303号に入り、東に900m程行った田部東交差点を右折し、国道365号に入り、南に430m程行った田部交差点で左折する。東に道なりに進み3度直角に曲がる。3度目の曲がり角に等波神社と田部集会所がある。そこで駐車し、神社本殿を正面に見て右側の山道を登ると20分程で城跡に至る。

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