No25203-5 龍ケ鼻砦 (たつがはなとりで       

龍ケ鼻陣所 一号墳上の郭

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 長浜市垣籠町
築城年 : 元亀元年(1570)
形  式 : 陣城(標高187m)
遺  構 : 堀切、      
訪城日 : 平成22年4月3日

歴   史
姉川合戦の直前に織田信長や徳川家康が陣を敷いた砦跡である。
元亀元年(1570)4月の越前朝倉攻めに際し、離反した浅井長政を攻めるため6月19日25,000の大軍で江北に入り、21日には浅井氏の居城・小谷城を攻めたが、構えが固く無理攻めは危険と見て、僅か1日で伊吹町弥高まで陣を下げた。24日には、陣を龍ケ鼻に移し、加勢の徳川家康も合流して、小谷城の支城である横山城を包囲した。
これに対し、浅井・朝倉軍は包囲された横山城への後詰めのため、小谷城を出て大依山まで出張り陣を置いた。しかし、27日暁に陣払いし撤退したかに見えたが、28日未明に浅井軍は野村の郷に、朝倉軍は三田村の郷に陣を移した。これを見て織田信長は「陣杭の柳」に、徳川家康は「岡山(勝山)」にそれぞれ本陣を移し、姉川を挟み対峙、合戦に及んだ。
最初は浅井・朝倉軍が優勢であったが、朝倉軍が下流から迂回した徳川軍別働隊に側面攻撃受け崩れると浅井軍にも下流からの攻撃が迫り、囲まれるのを嫌い浅井勢は撤退したと伝えられる。

構造と感想
尾崎の龍ケ鼻陣所は、茶臼山古墳の後円部を削平し、前方部の背後に堀切を設け区画しているが、草木で十分見られないのが残念である。しかし、陣所からの眺めは、説明板の写真のように小谷城を一望できる。
この陣所からさらに登っていくと龍ケ鼻古墳群で、円墳や前方後方墳を利用した郭が何段にも設けられ、一号墳が最高所となり横山城包囲の本陣が置かれたものと思われる。  

道 案 内
県道37号線の長浜IC交差点から東に3.5km程行くと細道と交わる交差点(国道365号の国道東上坂交差点の一つ手前)がある。そこを右折し80m程進んだ左手に2、3台の駐車場と説明板がある。そこから右手斜めに山道に入る。

TOPへ 戻る