No25365−51 | No25365−52 | ||
多喜南城 | 毛枚北城 | ||
(たきみなみじょう) | (もびらきたじょう) |
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多喜南城 南隅の土塁内 | 毛牧北城 堀切 |
◆ 城郭の概要 | ◆ 城郭の概要 | |
別 名 : | 別 名 : | |
所在地 : 甲賀町滝字南平、笹ヶ谷 | 所在地 : 甲賀町毛牧字深谷 | |
築城年 : 室町時代 | 築城年 : | |
形 式 : 丘城 | 形 式 : 丘城 | |
遺 構 : 土塁、堀切、虎口 | 遺 構 : 土塁、堀切、井戸、櫓台、 | |
訪城日 : 平成25年3月16日 | 訪城日 : 平成25年3月16日 |
◆ 歴 史 |
・・・・多喜南城・・・・の城主は多喜氏と云われるが、詳細は不明である。 |
◆ 構造と感想 |
・・・・多喜南城・・・・は、甲賀町滝のうち片山集落の南にある丘陵から東に張出した先端部に築かれている。張出し丘陵の東端は道路工事により削り取られており、遺構の存否は不明である。 主郭は中央のピークに置かれ、東西20m、南北40mの広さで、北東面を除く三方を土塁で囲繞し、東と南にのびる丘陵は長土橋状に削り出しているている。主郭北東面は竹林造成の土取りで破壊されている。 西の丘陵続きには、鞍部を挟み小丘が存し、その頂部が削平され、東側を堀切で遮断し郭としている。この西側100m程の所に多喜氏の本城とされる多喜城が立地しており、梅垣城と共に東西の両翼を守備する配置と考えられる。 丘陵や支尾根続きには堀切を設け、主郭の三方には切出しの分厚く高い土塁をめぐらす堅固な構えをしている。なお、主郭の南西裾に池が存するが、解説等がなされていない。 ・・・・毛牧北城・・・・は、甲賀町毛牧のうち下出集落の中程にある大福寺の背後東側の丘陵上に築かれている。南側が丘陵続きで、他の三方は平地が取り巻くが、東側は谷を挟み丘陵が迫り、西側は約30m離れ毛枚川が北流する。南南西約150mに山岡城、南々東約300mに獅子ヶ谷城が立地している。 主郭は、東西約30m、南北約40mで、西面を除く三方を土塁で囲繞している。土塁は南東隅が最も高く3m、広さは10m四方もある櫓台状になっている。東面の土塁は、櫓台付近で高さ約1m、巾約3mが徐々に高さを減じ北端では高さ50cm、巾約1mと小さくなっている。北面の土塁も同様の規模である。 郭内は、平坦で30年程前まで住宅が建っており、櫓台の北裾に井戸があり、住宅の生活用水に使われていたようで、城郭遺構か判別されていない。 現在は、大福寺背後の斜面を登り櫓台の西裾に至る道が登城路になっているが、主郭奥深くに到達しており後世の破壊道と見られ、本来の城道は主郭の北西側隅に約50cm下がって西側から北側にかけてL字状に付帯する帯郭を経由して丘陵裾に連絡したと考えられている。L字状帯郭の北側や西側には、斜面の崩壊した跡が顕著で、本来の虎口や城道も崩落したと思われる。なお、この郭の北東隅にも井戸があり、井戸の南側から主郭北面の土塁裾を回り込むように犬走が続いている。 城の南端は、櫓台の南側から東側に湾曲して堀切が穿たれ、櫓台が堀切側に張出し迎撃効果を高め、丘陵続きを見事に遮断している。底部の幅は約6m櫓台までの深さは約10mにも及ぶ大規模なもので、見応え充分である。 |
◆ 道 案 内 | ||
・・・・多喜南城・・・・は、県道4号線を水口から甲賀方面に来るとJR甲賀駅を通り過ぎた最初の信号交差点の大原市場で右折する。南に170m程行ったT字路で左折し。東に170m程行き右折、南に670m程行った右手の丘陵上が城跡である。当城と多喜城の間を南に抜ける山道があり、当城の西端を通っているので、そちらから入城するのが楽である。 ・・・・毛牧北城・・・・は、多喜南城から260m程南進したT字路でやや鋭角に左折する。90m程東進し右折すると直ぐに大福寺前に至る。 |
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多喜南城 南西側裾の池 | 毛牧北城 南面土塁と井戸 | |
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多喜南城 西側ピークの削平地 | 毛牧北城 L字状の帯郭 |