No25365−49 | No25365−50 | ||
多喜北城 | 多喜城 | ||
(たききたじょう) | (たきじょう) |
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多喜北城 南東より櫓台を見る | 多喜城 南面土塁の内側 |
◆ 城郭の概要 | ◆ 城郭の概要 | |
別 名 : | 別 名 : (元)多喜北城 | |
所在地 : 甲賀町滝字滝迫 | 所在地 : 甲賀町滝字南平、滝迫 | |
築城年 : 室町期 | 築城年 : 鎌倉期中頃(1280年頃) 弘安7年 | |
形 式 : 丘城 | 形 式 : 丘陵城 | |
遺 構 : 土塁、堀切、竪堀、櫓台、虎口、 | 遺 構 : 土塁、堀切、竪堀、櫓台、虎口、 | |
訪城日 : 平成25年3月16日 | 訪城日 : 平成25年3月16日 |
◆ 歴 史 |
・・・・多喜北城・・・・の城主は、多喜氏と伝わるが、詳細は不明である。 |
◆ 構造と感想 |
・・・・多喜北城・・・・は、甲賀町滝の南方、多喜城の南西にあり、丘陵から北に張出す尾根先端部に築かれている。南東に続く尾根筋を主郭から70m程離れた所の小さな丘を越えた鞍部に堀切を設け遮断しているが、堀切から主郭南東隅までの尾根筋はほぼ自然地形で、主郭南東隅を占める丘を土塁と一体化させ一段高い東西7m、南北4mの平場を持つ櫓台とし、また、南西隅から竪堀を落として、背後への備えとしている。 主郭は、東西25m、南北20m程で四周に土塁がめぐり、東と南面が分厚く高くなっている。北面の東端に虎口が開口しており、20m下方の尾根先端へと通路を下ると東西25m、南北20m程の腰郭に至る。腰郭の中央部には、東西で段差があり、二段築成となっている。山麓へは腰郭の北東隅から南東へと下っていく。 ・・・・多喜城・・・・は、甲賀町滝のうち片山集落の南方に北へと張り出した丘陵があり、その先端部に築かれている。南側が鞍部を経ての丘陵続きで、他の三方は平地が広がり、独立丘陵に近い地形である。城跡は、一部が墓地と畑になっているが、他は山林で遺構の残りは比較的良好である。主郭は竹の繁茂で立ち入れない。 城の規模は、東西約130m、南北約100mで、頂部に約40m四方の主郭を置き、北面を除く三方に土塁をめぐらしている。東面と西面土塁の北端が郭面より少し短く開口し、郭外へと通じる道があり、虎口と見られている。土塁は、南面で高さ約8m、天端巾4m前後あり、西面と東面は北に行くに従い低くなる。南東隅は約10m、南西隅は約8mと巾が広がり、その外縁部に高さ50cm程の土塁を設け、土塁天端を同じ幅で連続させようとしている。これは土塁上や隅部の広がりでの活動を想定した造りと考えられる。 主郭の北西側に現在は墓地となっている二段築成の郭がある。墓地の北東角に高さ約3mの土壇があり櫓台とされるが、連絡路や櫓の存否は不明である。墓地の東側、主郭の北側に墓地から一段低い畑になっている郭がある。 主郭の南東は丘陵続きで高所となるため、主郭の直ぐ外側に自然の谷と鞍部を利用した堀切を設けて後方を遮断している。堀切の東側は竪堀を落とし、西側は谷が西に落ち込んでいる。主郭の南西と北西には細い尾根が派生しており、それぞれ主郭の裾に堀切を設けている。その先の尾根は自然地形で城外とである。 滋賀県中世城郭分布調査では、多喜城の記載がなく、多喜城は多喜北城の縄張りを、多喜北城はこの多喜城の南東側とされている。以前の多喜北城が、現在は「多喜城遺構」に変更されている。 滝公民館前に史跡案内板が設置されている。 |
◆ 道 案 内 | ||
・・・・多喜北城・・・・は、県道4号線を水口から甲賀方面に来るとJR甲賀駅の140m程手前に甲賀駅西交差点がある。その交差点を右折し、220m程行ったY字路(多喜橋バス停の所)で左手に進む。道なりに270m程行き右折、260m程東進して右手に曲る。南に170m程行ったY字路で右手に入り、300m程道なりに南進した左手の丘陵上が城跡である。丘陵の北端を東に入る農道があり、行き止まりから右の斜面を登る山道がある。 ・・・・多喜城・・・・は、県道4号線を水口から甲賀方面に来るとJR甲賀駅を通り過ぎた最初の信号交差点の大原市場で右折する。南に170m程行ったT字路で左折し。東に170m程行き右折、南に480m程行った右手の丘陵上が城跡である。若宮社の所を右側に鋭角に戻るように曲り、西に110m程入った左手に墓地への道がある。 |
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多喜北城 主郭北面の土塁と虎口 | 多喜城 南東端の堀切 | |
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多喜城 墓地の櫓台 |